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(((Where iz ZION ?)))

2022.06.06  ZION (((Where iz ZION ?))) at 渋谷 WWW X

ZIONが初めて北海道以外で行うライブ、そして初めてのワンマンライブの日。
そして私が初めてZIONの音楽に触れる日。

どんな音楽か気になりつつも、スタジオライブ映像がYouTubeにあがったのがライブまであと少しのタイミングだったから聴かずに待っていた。
初めて聴くZIONからのメッセージはせっかくなら生で聴きたいなと思ったから。
でも当日ぎりぎりまでどんな気持ちで観たらいいのか、それ以前に自分が今どんな気持ちでいるのかすらよく分からないままでいた。

私はNICOのファンだから、どうしても複雑な気持ちがあるし、比較してしまうかもということは否めなかった。

そんなこんなで開演までの焦らされている時間は、わくわく、そわそわ、久々の椅子のないライブハウスの空間への懐かしさ、どうなるのかという困惑、楽しみ、少しの悲しさ、とにかくいろんなものがないまぜになった今までにない気持ちだった。

それでもフロアが暗転し、1人1人メンバーが登場し、うっすらと見えるシルエットによく知っているピースの挙げ方が見えた。
みっちゃんだ。

どんな挙げ方って聞かれたら説明はできないけれど、あの腕の上げ方ひとつで「今から光村龍哉の歌を聴くんだ」と実感するには十分なんだよ。

タイトルも知らない、歌詞も知らない、メロディも知らない。

それでもあの腕の上げ方を見た瞬間から引き戻された光村龍哉の音楽のある世界、そして新しく目の前にあるZIONの音楽の世界。

ふとした歌詞に「これはもしかしてNICOをやめたことに対しての気持ちなのかな」 「これはZIONが目指していく道を言ってるのかな」
考えすぎかもと思いつつも、そんなことが嫌でも浮かんでくる。
そしてそれらの言葉や音は、私にはほんの少し寂しく響きつつも、それでも感じるのは「開けた視界」だった。

ライブハウスの小さな空間で鳴っている音楽なのに、まるで壁が取り払われたかのように感じる。
(NICOにかけて言っている訳ではなく、本当にそんな気持ちになっていた。)
先に上がっていたYouTubeのサトヤスさんチャンネルで、北海道の十勝平野で作った曲ということは聞いていた。私はそこへ行ったことがないからこの音楽でその景色を思い浮かべることは出来ないけれど、今この瞬間、ライブハウスにはいないような感覚はしていた。
ZIONの音楽は壁に囲まれた一室で鳴っている音楽ではなかった。

じゃあそれが、幕張メッセなら?東京ドームなら?それも違う。例えどんなに大きな空間でも閉鎖的な場所は似合わない。
音響設備の整った部屋や、お高いヘッドホンで聴くよりも、広い空の下、窓を開けて走る車の中で、多少音が悪くてもカーステレオからこの音楽が聴こえたらいいだろうな。

(そういえば途中Blackbirdをなんだか思い出した曲もあったんだけれど、あれは公園で芝生で聴きたいなと思ったので追記しておく。)

久しぶりに聴くスキャットに出来もしない指笛を鳴らしたいような気分になった。
3ギターの分厚い音でライブハウスで聴くロックの良さを思い出した。
ベースとドラムのリズムがあれば身体は勝手に揺れていく。

あんなに複雑な気持ちだったのに、チケットを買ったあとに「楽しめなかったらどうしよう」と1人で悩んだ時間もあったのに、あれは一体なんだったのか。
圧倒的なその歌声と演奏は、そんな気持ちをみるみる溶かしていった。


アンコールで演奏された曲を聴きながら、私は日が沈む夕焼けの中で楽しそうに歩く背中が見えるような気がしていた。

NICOのときには暗い場所を抜けようと先へ先へと必死に足を運ぶような光景に感じていたものが(私はそこが好きでもある)、ZIONではただただ夕焼けの中を嬉しそうに笑いながら、ゆっくりと行きたい方へ歩いているような光景へと変わる。

まだ歌っていたい
雁字搦めの先へ

YouTubeでも聴くことができるこの歌詞。

その「先」がアンコールで私の感じたような光景だったなら、これから先にZIONが奏でる音楽はきっと自由で、風のようにどこへでも行くんだろう。

これから彼らが何をするのか、何をしたいのか、全く予想がつかないけれど、こんな音楽が聴けることを嬉しいと思う。

次はいつ聴けるのか。
「また絶対に会いに来てください」の言葉がうれしく響いた。






最後に。
ライブ中に「3人がいない」という気持ちを何度も感じたという本音は小さくそっとここに記す。

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