見出し画像

突然死なれても知らねえよ

昨日、ASJJFの試合に出ました。今日は所プラスの周年パーティーがあり、帰ったら試合のnoteを更新しようと思っていたのですが、そういう気分ではなくなってしまった。

所プラス12周年記念パーティー

敗戦から一夜明け、今日は所プラスでジム内スパーリング大会がありました。軽量級の部で記念Tシャツをいただきました。その後はジムの近所のお店でパーティー。桜庭和志さん、寒河江寿泰さん、RENAさん、金原正徳さんが順に登場して豪華な周年記念パーティーになりました。これについてはあらためてTwitterで更新したい。

周年パーティーに参加するのはまだ2回目だけど、柔術・グラップリングと素敵な人たちに出会えた場所。人生の転機となった場所。来月引っ越して頻度は落ちると思うけど、バイクで通おうと思う。

親友の妹からのLINE

スパーリング大会の直後、LINEの通知が来る。地元の友人HとOで作っているLINEグループに見知らぬ人から新着メッセージが来る。Hの妹だと名乗る。

兄HのLINEから僕らのグループを見つけて、自分をグループに追加してメッセージを書き込んできたという。兄Hが今日死んだという。

は?

僕はジム内大会をこなした直後でアドレナリンが出ている状態だったので、全然理解できなかったしイタズラかと思った。

脳腫瘍で急死?

Hの妹に電話をした。話すのは十数年ぶり。子供が後ろで泣いている。先月Hから妹に子供がいる話は聞いたな。今は九州に住んでいて、兄の訃報を受けてさっき戻ってきたらしい。

死んだのは本当だった。別にメッセージを疑ってはいなかったけど、やはり本当に死んだらしい。死因は脳腫瘍で、先日手術をしてそのまま意識が戻らないまま死んだらしい。

1ヶ月前に会ったばかりなのに? そんなことある? 脳腫瘍で急死することなんてある?

2週間前の奇妙なLINE

いま思えばおかしな出来事があった。11/23(木)突如3人のグループLINEにこんなメッセージが来た。

電球がH

当初はイタズラを疑った。でもそこまで悪質なイタズラをする奴でもない。何か事故か事件に巻き込まれたのかと思って、岡山南警察署に連絡を入れておいた。しかしそのすぐ後に返信が来て、訳わからない説明をするからイタズラかと思った。

人騒がせだなと思って、とりあえず一件落着かと思った。その後個人宛LINEで次の帰省について訊かれて、元々12月に帰る予定を伝えていたが、変更になったので、その旨を伝えた。

これが奴との最後の連絡になった。

■妹の説明によると
・11/17(金)に救急車で病院へ搬送
・11/23(木)入院。僕とO君の3人のグループLINEへ人騒がせな内容(ではなかったけど)
・11/24(金)16時間に及ぶ大手術
・12/3(日)その後意識が戻ることなく、今日の昼に死去

妹の話を整理すると、11/17に家で倒れて検査して脳腫瘍が発覚。もうほとんど手遅れの状態だったらしい。いったん家に戻って長年疎遠になっている母親の家に行き、11/23(木)は自分の足で病院へ行った。その夜に僕らにLINEを送った。翌日手術を受けて、意識不明のまま10日この世をただよって、今日息を引き取った。

死者は何かを残したがるのか?

彼についての説明をどこまで書けばいいのかわからない。あまりにも思い出が多く、一番の腐れ縁だったからだ。8歳の時に知り合って、中学は同じ部活で、高校はバラバラだったけど、一緒にバンド活動をした。僕がいろんな金稼ぎの勤しんでいる時も「わいにも一枚噛ませろ」とよく首を突っ込んできた。もうしばらく一緒に仕事はしていないが、帰省したら毎回会っていたし、僕ももう東京の生活が長く、必ず会うのは彼だけになっていた。

話は変わるけど、僕の父は39歳で事故で亡くなったのだけど、死ぬ2,3ヶ月前くらいからしばらく会ってなかった人に急に会いに行ったりしていた。なので、死ぬ人は無意識に死期を悟っているのではないか?という話は本当かもしれないなと。今日あらためて思った。

今回、彼も同じことがあった。というのも1ヶ月前、彼の唯一の趣味だったカメラを受け取ったばかりだった。

今年のいつだったか覚えていないけど「もう撮影に飽きてしまってカメラも使わないから受け取ってくれ」と言う。僕に使って欲しい、子供を撮影するのに使ってと言う。夏に会うことはできなかった。まあいつでも会えるからいいかと。

そうしているなかで急遽10月29日に地元岡山で仕事が入り、会場に行く直前に彼とラーメンを食べた。ぼっけゑラーメン。彼とはいつもぼっけゑラーメンに行く。高校時代(もう20年も)ぼっけゑラーメンの存在を教えてくれたのも彼だった。

この日は仕事終わりに、今度は一人でまたぼっけゑに行った。

2002年、僕らは高2だった。彼は地元の高校に進み、僕は岡山市内の高校に進んだ。彼が市内に買い物やバンドのスタジオ練で来ると毎度ぼっけゑラーメンに行った。あれから20年が経ち、頻度は落ちているけど、僕が帰省する年2回は変わらずの恒例行事だった。

彼のカメラ

実はまだバッグを開いていない。カメラを受け取るためにラーメン屋の前で待ち合わせたら大きなバッグを渡された。てっきりカメラ本体だけかと思ってたから「こんなバッグでくれんの!?」と訊いた。「もう使わないしな」とだけ。予兆があったのだろうか。でも不健康な生活送っているし、独り身だから病院には行っていなかったはずだ。

妹によると、記憶力の低下はこの1,2年あったらしい。記憶が噛み合わないなどの違和感はあったらしい。僕は全く気づかなかった。

いま開いたわ。フル装備かよ。

いきなり死なれても知らねえよ

彼と僕の関係についてはここで書くには長すぎる。人生のターニングポイントを迎える時には彼には報告していた。彼のおかげでおもしろい経験はあったけど、高校卒業後は余計な厄介なトラブルばかりを持ち込んできた。奴の女がヤクザに脅され、僕に依頼が来て、仲裁に入ったことがある。ゴト師になると佐賀に行ったり、よくわからない生活を送っていたが、まあなんだかんだでいつも二人でぼっけゑラーメン食って、どちらかの家に寄ってタバコ吸ってバイバイして。

栃木で開いた結婚式に呼んだ数少ない友人でもある。でも妻は奴のことを嫌っていて(怪しいから)、ここ数年は地元に戻る時も会っていることはほとんど話さなかったな。

まあそういう奴だ。親友の嫁からも疎まれる。好かれてはいなかったし、友人関係もめちゃくちゃな奴だった。残っている友人は僕とLINEグループにいたOくんだけだった。

今回妹が連絡してきてくれて本当に良かったなと。1ヶ月前に会うことができたし、ほんと束の間だけど、いつものぼっけゑで飯が食えて良かった。

いったい僕はこのnoteを何のために書いているのだろう? 頭を整理するためか。パーティー明けの酔った頭を覚ますため? と言いつつ全然酔ってないと自分では思っている。パーティー直前に厄介なことをしてくれる。とはいえ、パーティーがなかったらそれもしんどかった。帰ってもずっとあいつのことを考えてしまうだろうと思って、珍しく二次会にも参加した。でも帰ったらやはり思い出してしまうし、なんだこれって感じだ。

葬儀は近親のみでやるらしいが、死に顔を見に行かないわけにはいかない。別に見たくもないけど、見ないと後悔するんだろうなと。本当に面倒。しかもこんなクソ忙しく、まともに歩けない時期に。迷惑な話だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?