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推薦で、ごめんなぁ、、。

 僕って、大学を指定校推薦で入学してるんですよ。また高校の話になるんですけど、高校のクラスに一般受験受ける人が1人しかいなくて(笑)そんぐらいバカだったんで推薦でしか大学にいく道がなかったんですけど。世の中には一般受験して頑張って大学に入った人もいれば、AO入試やら指定校やらの推薦で入学した人も少なくはないと思うんです。でもやっぱり推薦組の方が一般受験組と比べると勉強してない分、頭は悪く見えてしまう、というか悪いと思うんですよね。でも最近、努力主義を軸とした授業で受験のことに触れ、一般受験より推薦組は努力していないといったニュアンスの発言を受けてから「推薦だからって努力してないわけじゃないから」という言葉を耳にしたんですよ。「いやっ、、えっ、、?」僕は困惑を隠せませんでした。推薦でしかいく道がない、あるいは推薦を選んだなにかしらの理由で、一般受験を受けなかった人間が、なぜそこで意地を張るんだ、、?と。もちろん言いたいことはわかります。推薦組にだって、小論文や面接、あるいは筆記試験などと言った一般受験組にだって負けず劣らず、努力してようやく入学を勝ち取った者もいるでしょう。ですがその場合、なぜわざわざ努力していないと見られる可能性のある推薦を選び、一般受験組を目の敵にしつつ、努力していないわけではないと意地を張るのでしょうか。僕には理解ができません。

僕の場合は、一般受験組より推薦組の方が努力していないと言われたら「大学に推薦されるに値する人間として高校が推してくれたから、努力なんて微塵もしてないよ😅😅ごめんなぁ、、推薦で楽しちゃって😅😅一般受験組の人たちは大変だったんだねえ、、可哀想に、、😭😭」と返します。ちなみに高校も推薦で入ったので高校受験も楽させていただきました。それはそうでしょう。自ら望んで努力したい人間がどこにいますか?普通は存在しません。いたとしたらそれはただの変人です。

最近大学の講義は「昔はこうだった」という話が多く、現代社会論という授業でも昔の話を持ち出され、結果的に現代の話をせずに授業が終わります。ハッキリ言って、つまらないのです。もちろん昔の話を聞くことは意味のあることです。我々がギリギリ生まれていない1990年代後半の話や、高度経済成長などと言った日本の歴史を学ぶのはとても大事ですし、必要なことだと思っています。ですが社会学科に在籍している以上、史学科でもない限り歴史をメインとした授業をほとんどの必修科目でやらされると、正直面白くないのです。「つべこべ言わずに受けろ」と言われたらそれまでなので、黙って勉強します。

思いつきで文章を書いてみたらクソ長くなったからnoteに上げてみました。(ほぼ愚痴だけどな!!許してくれ!!)文章書くのはやっぱ楽しい。今後はボツ論文もちょいちょい上げていきたいと思います〜。

暇だったら読んでみてね。
矢部暢崇でした。

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