性癖開示のすゝめ

こんにちは
ろくな文を書かない人間です。

脳破壊(物理)しています。

雑さんを始めとするブログ界隈、
おそらく性癖開示の元凶というか主犯です。
反省はしてない。

みんなのを見てると楽しいですね。

人の内側を覗いてみましょうね。
もちろん自身の内面もreviewしましょう。

またいつものように原理から見ていくと、
性癖、性“さが”で癖です。
生まれ持った性格、運命、いつもそうであること
その癖です。

ついついやってしまうことって事ですね。

別にセンシティブな意味では一切無いのですが、
まぁ使われるのはたいていそういうときです。

論理とは正反対の情、さらに言うなら
ギリギリ言語化できて嬉しいモヤモヤでもあります
表現として、発見として困難が伴うものなのです。

そもそも、ブログは形式的には全世界に発信しているけれどもそれを見る人なんてほぼいないわけだし、
SNSほどシェアされて目につく機会も無いわけで
のんびり気楽に文字を生成すべきだと思います。

それをもって悪意のある攻撃をしてくるのは
その人が悪いわけで。
誹謗中傷は既知の事実でも当てはまるのでね。

誰しも好き嫌いはあるし、
それを表明して今後の関係に活かす権利があります。
ネガティブなヘイトはwellbeingではないですがね。

ポジティブな“好き”を改めて表現することで
まだ見ぬ自分を発見し、理解することができると
私は強く信じています。

そして、それに対してためらう要素など一つもないのです。(ただ、この媒体だとbanの危険性がある)

羞恥、他人の目の怖さ
これはその欲を業“カルマ”足り得るものにする
内なる自分の保守的社会性なのです。

今までの関係性が壊れるのがこわい、
孤独になるのがこわい

失うものが多いわけです。

でも、所詮人間関係なんて利害です。
軽率に情で繋がると火傷をします。

じゃあ火だるまで特攻すればみんなファイヤー。
(何いってんだこいつ)

私は真の平和は訪れないと思っています。
だって他人の理解以前に
自分のことなんもわかってない人ばっかりですからね

でも信念に基づいた不和と違って、
ミスコミュニケーションからの不和は
回避も解決もできます。

自他ともに無意識に隠れた性格を概念として
あらわにすることで、
論理からくるドライな関係をより深め
また、心の中で解決できない“些細な”モヤモヤを
晴らすことができるのです。

情の部分は人それぞれ自然発生的に顕在して、
いまだ人工知能には難しい分野です。

情からくる好きはそれ以上分解できない
原始の行動原理なのです。

行き場を失った感情は抑圧されることで変異します
そういう精神安全的な意味でもある程度の発散は
必要なわけです。

で、結局何書けばいいのかと言うと…

一目惚れ未満の気づき

です。
いやもちろんそのレベルでもいいんですけど、
そこまで行くとおそらく感情が爆発して
性癖の枠が支えきれないんじゃないんですかね。

動作、シチュエーション(環境)、部位、言動…
探せばいろいろ出てきます。

自他ともにそれを探す事自体が他者理解の一歩な
わけですし。

イライラ、モヤモヤ、むしゃくしゃを分解して
共有する。

もちろんいろんな表現ができれば
それに越したことはないんですけど、
やはり文は取り掛かりやすいのでおすすめです。

いまだに稚拙ですけどね。

とりあえず、気づきをイメージに、イメージを言葉に
言葉をフレーズにすることをやってみると
新たな世界が見えるかもしれませんよ。

追記

こんなこと言ってますけど、結局
気づきの喜び、表現する努力、
内なる自分を共有し知ってもらう(≠理解)
これも承認欲求ではないでしょうか。
というかこっちが発達の過程としては
元じゃないでしょうか

好きのベクトル論の補強ですが、
好きという感情はリソースではないです。
パイを切り分ける必要はないです。

それぞれにそれぞれの良さがあることを
尊重すること、ある種の博愛こそが
自分の輪郭を形成する重要なアイデンティティに
なりつつあります。

最後に、
性癖開示についてのクレームは受け付けますが、
補償はしませんので悪しからず

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