写真の上手い人

写真の上手い人ってなんですかね。

プロの中でも、顧客からの受注できれいに着実に写し止めるタイプの人はミスを減らし、打率を上げていると思います。定石が生まれ、経験からくるリズムや独自の使い方で馴染ませていくことで安定性を高めていくと思います。

でも、個展などを開くような芸術家タイプで飯を食っていく人も居ます。
そういう人は、設定を突き詰めたり、数年に一度しかないタイミングを辛抱強く待ったり、具体的でも抽象的でもあるイメージを表現するために探し回ったり、
頭脳と努力、試行を重ねて理想で最高の一枚を求めるわけです。
いわば上振れ重視というわけです。

もちろん、その両極端で分類するわけではないです。
構図や設定など、流行り廃りがある中で我流を貫く人もいるように、撮影に対する向き合い方も人それぞれです。

さて、本題です。

写真の上手さとは何でしょうか?
下手さならなんとなくわかるんですよ。
いわゆる失敗写真。それらの背景には知識不足からくる設定や見通しの甘さ、機材や物理的な限界、運などの要素があります。
微妙な傾き、意図しないブレ、被写体が埋もれたり、ピントが外れてたり、露出が合わなかったり、ノイズが多かったり。そういうカメラの機構に起因する要素の他に、メイン被写体の選定や主張力不足(背景がうるさい)、被写体自体の魅力、画面情報の取捨選択、使用レンズや、光線などの総合的な頭脳力が必要な要素があります。

もちろん、同一保持性からくる記録性以外にも、感情に訴える芸術性も持ち合わせ、表現の手段として、
昔から無茶な増感などの創造的なテクノロジーの活用はされてきました。
ノイズや、フレア、微ブレ、色かぶり、黒つぶれ
そういう“失敗”も、意図して表現した結果で納得できるなら、成功になるわけです。

記録性を重視すると定石が生まれるという事を言いました。編成写真でいうところのシチサンやら各種禁忌要件などですね。

ではそういう定石を安定して撮れる人が上手い人でしょうか?

そもそも、一般的に定石は環境の変化や新技術の発見開発によって変わりゆくものです。
例えば最近の鉄道写真ではホームドアの存在ですね。
一気にミラーレス優位になりました。
そういう意味で、過去に学ぶだけでは足りないのです。
各人、試行錯誤して、納得行く撮り方を模索するわけです。

そもそも、自分が納得していないのに堂々と他人に自慢するというのは自信の面でおかしなことです。
それが論理的、感覚的なものであろうと、
“いい”写真かどうかはまず自分が決めるのです。
そのあと、その経験をもとに今後の基準となるセオリーを組み立てて行くわけです。それが流行り、定着すれば定石となっていくのです。

その、“いい”写真の追い求め方が芸術派のほうがより広範でストイックであるというわけです。定石が生まれるよりも前に新天地を目指すという意味で。

案外、子供やカメラに興味ない人にシャッターを押してもらうと新たな視点を得られるというのは、
そういう凝り固まったセオリーのない新たな表現に出会えるからなのです。




なお駄カットすら十分に撮ってない俺

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