無加工写真という幻想

こんにちは。のぶおです。
ブログネタくれと言われたので、
「写真いじり(後加工)の許容レベル」を提案しました。

こちらです。

自分たちは毎週複数回写真を撮ることが生活の一部と
なっているわけですが、

そもそも写真ってなんだろう
記録と芸術の境目は?っていう疑問が少なからず出てくるわけです。

雑さんの分類を借りますか

トリミング

肯定。
もちろん、事前のフレーミングが完璧ならいいのですが
そのために三脚をたてる面倒とアングルを固定したときの柔軟性のなさが好まないです。
私達は動き物を撮るので、後からじっくり構図を考えるということへのメリットが多分にあります。

なんなら大口径単焦点は
限られた立ち位置でいかに性能を引き出すかの勝負なので、トリミング前提の撮影になることもしばしばあるようです。

傾き補正

肯定。

順番逆転するけど、トリミングと同じように
線形な座標変換なのでこっち先に。
トリミングは、外側ピクセルを失うだけで無劣化
それに対して傾き補正は結局は画素補完しているので、
劣化するし復元出来ないんですよ。
画素補間って言い方悪くすれば「得られたデータをもとに記録されていない存在するはずのデータを作り出す」ことなので、厳密な人は嫌うかもしれないですね(伏線)。
わかりやすく言うなら,ピクセルが縦横に並んでるのを回転させたら
並びはズレていくよね?っていう話です.

色(WB、彩度、色座標、チャンネル別トーンカーブ等)

記録 比較して調整できる環境なら肯定、
ないなら勘であることを意識して可
芸術 肯定

WBは目まぐるしく変わる自然光で、キャリブレーションしていない被写体なら「勘」で合わせていくしかないです。迷うのは当然です。
人間の目で見る色の感覚は人それぞれで
しかも客観的に比較できないので、
色を一般化することは困難です。
物性から求めた指標(K)を使うしかないのです。

しかも、(元は)デジタル画像なんてただのデータで
出力方法もバラバラなのでモニターの個体差や
メーカーの味付けによって表示すら異なるわけです。

正確な色を出すためのステップを大まかに。
1 カメラで撮った写真をモニターに出す
2 撮影時と同じ条件でそのモニターを撮る
3 その撮影データが元データと同じなら、
再現できているわけなので、そうなるよう調整する。

また、そういう意味で、「正しい色」を出力する
というのは、かなり環境を整えないと難しいのです。

そしてこれ、AIの学習過程と同じですよね。
最初から「真を写す」わけじゃなくて,
「得られたデータから同じ風景が得られるように再現性を極めて高める」という作業なのです.

キャノンなんか,「デジタルレンズオプティマイザ」とか言って
撮影環境をモデル化してそこから逆算して理想像を導出する(意訳)なんて
公言しているわけで,
コンデジやスマホも物理で色収差を極めて,ソフトで歪曲収差を変換させるのが一番コスパがよく多く採用されているわけです.

ノイズ抑制(レガシ)

肯定

もっと熱が入ります(ダブルミーニング)
撮影って、光子の観測なわけですよ。
エネルギーを得てその度量を記録しているわけです。
中学レベルの科学実験でもわかると思うんですが、
「誤差」ってありますよね。人為的ミスや測定法固有のものを除いても、正規分布だったりポアソン分布だったりで少なからずばらつくわけです。
それは世界が多量の粒子の相互作用によって煩雑なエネルギー系(熱雑音)になっているからと仮定することにします。

でも見方によっては(熱)ノイズは
「撮影時にそこに存在する」とも、「撮影時に仮想的に作られる」とも両方言えます。

何にせよ、その「ノイズ」は完全になくすことは無理です。
理想条件は現実ではなくそれを思考のために単純化しただけに過ぎないからです。

そのため、プロ用測定器具にはS/N比が書いてあります。
送りたい信号の単位、定在するノイズを比で表すことで
「相対的なノイズの少なさ」を指すのです。

いま一番使われているカメラのセンサーはCMOSです。
基本的なノイズ特性は一様で、
モデル化するならばガウスノイズです。
モデル化できるということは逆にフィルタを適用させてノイズを打ち消すこともできるわけです。
しかし、パターンが撮影毎に異なるため
それをもとに戻すのはできません。
一期一会ですね^^

そこで、平滑化して尖った値を潰すわけですが、そうなるとベタっとなるわけです。

何が言いたいかというと、
・ノイズは少なからず必ずある
・ノイズレベルは求める信号との比で考えるべき
・ノイズ軽減をかけなくてもノイズがないように見えるのは、ノイズ比が大きすぎてそこまで細かい違いを肉眼で判別できないから
・記録データだけから劣化無しで元の信号を求めることは不可能

だからなんだ(眠気限界突破)

その撮影行為以外でのアプローチによって画像データを改変すること

記録 否定
一般 非推奨
芸術 肯定

急に法律用語みたいになりました。
というのも、先程のノイズ軽減も色関連もそうですが
「元々いじる前の画像」なんて存在しないんですよ。
もっというと「この画素はこんな色」なんて情報もないんですよ。
今の普及型デジタルカメラのセンサーの配列が、
ベイヤー配列というものだからなんですけどね。

センサーの基礎知識 ベイヤー配列について

CMOSセンサーは予めコンデンサーに溜めておいた電荷を
フォトダイオード(光量に応じて抵抗値変化)に通すことで
電荷の減少量から時間比で露光時間中の光量を求め,
増幅しているものです.
CMOSはゲートの役割をするのです.

つまり,1画素あたりモノクロの単純な光量しかわからないのです.
なので,2×2の平面あたりに,

緑 赤
青 緑

と,色フィルターをかけてその色ごとの光量を出しているのです.
(緑が多いのは人間の目で緑の感度が高いため)
ということは,1画素あたり1つの色の光量しかわからないわけです.

なので,実は真に正しい色を求めた場合,画素はスペック上四分の一になるわけです.
でも実処理上は4倍データをかさ増ししていると言ってもいい現状なのです.
撮って出し(わざとピン甘カット)
500%に拡大
デモザイク解除(緑フィルター)
4画素統合

ということで、また色再現のときと同じく
「真の風景を再現する」ためにデータを様々な変換にかけて各社データを“作り上げている”のです。

長ったらしく技術的なことを言いましたが,
「撮影時の風景を再現するための事後の画像処理」は肯定せざるを得ない
という主張です.
だって,「ニコンの色味が~」とか言ってるじゃないですか.
本当に再現性を求めるならみんな1つの機器に集中しますよね?

「写真を魅力的にするための画像処理」というものとは切り離すべきです.

再現性を高めるための処理.
それが切り貼りだろうが,座標変換だろうが,モデル化した数式に打ち込むのだろうが,プログラム的試行によるものだろうが,統計的または職人のパラメータ入力だろうが,AIによる経験的な介入だろうが
そこに差はないと考えています.

なので自分は様々な収差,光学的ノイズ(フレア,ゴースト),熱ノイズ,増幅時のエラー
諸々を排除するために手段は選びません.

ぼけだって光学的にガウス拡散やら複合的なフィルタを通してモデル化できますし,どこにかけるかという難しい部分だけAIに任せてるがゆえに定量化できずに不自然になってるんじゃないかなと思ってます.

最近は中程度のノイズ軽減をした画像をAIに通して,
通さなかった方を35%,
通したほうを半径0.2pxのガウスフィルタにかけて65%で重ね
部分修正をして作っています.

いい機材を導入して意見が変わるかと思いきや,今のところ変わっていません.

11/30追記

雑さんが「写真を観て処理している」という表現を使っていました。
これには2つの意味があるんじゃないかなと思っています。

1つ目は「観る」つまり、入力データそれぞれ応じて判断(条件分岐)しているという意味です。

例えば、カラーをモノクロにする処理があるとして
同じピクチャーコントロールなら、違う画像を入れても部分的に同じ色のピクセルは同じ明るさに変換されます。
処理の同一性とでもいいますか。
でも、ピクコン変えたら同じ画像でも違う感じのモノクロ画像になりますよね?

これは明らかに芸術よりの加工操作ですが、
データの処理という意味では変わりません。

「風景の再現処理」において、「処理の同一性」を求めるかといえばそれはないと思います。(あるという意見も存在する)
実際の現像処理などでも、白飛びしそうだからハイレベルにカーブ当てるだとか、暗すぎるから持ち上げるとか、マニュアル撮影でも微妙に変えることはあります。(もしかしてあなたDライティングをオートにしてませんか)

環境条件によってカメラの性能を引き出せるかどうかは変わってくるので、それに応じてっていう処理があり得るというところが根底の思想です。

2つ目は、「撮影時のデータ以外を混入させている」というものです。
確かに、撮影時のデータ以外にAIはモデルから推測したデータを“作っている”節があります。
でもこれも言葉の綾で、
現実世界での「作る」って
無から何かを生み出すことはできないので
原材料を使って新たな形の物質やプロジェクトを達成することだと考えられます。
電子データなら無から作り出すことは可能なように思えます。(ノイズは偶然性の産物なので例外)
でも、それらの処理には定数やら変数やらで介入され元のデータ以外の情報が混ざっていると捉えることができるのではないでしょうか?

可視化できないセンサーの数値から、望みの風景が取り出せるまでに色や明るさ、平面的な拡がりやシャープネスなど、様々な要素をフィルターに通すわけです。
フィルターということは可逆的で、逆に処理すればもとに戻るということです。つまり処理自体にもそのような状態になるための情報が保持されていないといけないわけでもあります。

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