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ダイヤモンドの指輪とプロポーズ

2009年に田舎の山奥で月3万の家賃を払い
新婚生活をスタート

挫折したミュージシャン崩れの隠れた暮らし

2004年〜2008年まで東京で夢を追って

色々やって来たが、2008年の夏終わりにダメだと思い当時彼女だった妻にケジメとし婚約指輪を買いに行こうと話し

御徒町にダイヤモンドの💎指輪を30万ぐらいで購入。

それからディズニーシーにて
プロポーズ

妻は喜んでくれた。

意気揚々と帰宅し、彼女が母親にプロポーズの報告をした。

良かったねの一言を期待して...

返って来た言葉は

正社員にもなっていないミュージシャン崩れに結婚など認められるか!

妻の母親と姉に猛抗議を受け

泣き出した妻にすまないと思う

真っ当な人間になろうと思い

今でも鮮明に覚えているので

晒しめを受けた方はいつまでも覚えている

めちゃくちゃ頑張っても結果が出なければ、笑い者だ!

だから正社員を必死に探して、水道設備の営業マンとして就職をした。

ミュージシャン崩れとしても結婚式もまともに挙げれない人間とは思われたくなかった。

結婚式もしっかり自分達でムービーを製作したり、節約出来るところは節約し、音楽の流し方など、自作した曲も織り交ぜながら準備していった!

200万かけて結婚式を準備する

妻の母親と姉には何も言い返さず頭を下げて
結婚式に出席をお願いし、

入ったばかりの水道設備会社の社長にも結婚式の参列をお願いする。

今思えば、体裁を作りたかっただけだ、

猛抗議を受けた、妻側の家族に、正社員、社長を呼び盛大に結婚式を挙げる

とにかく蔑まされるのが辛かった。

結婚式で社長の挨拶をお願いしたけど、結婚式当日の挨拶に私の事を正直良き知らないですと話していた事を思い出すと、恥ずかしい過去と、社長にも気の毒な事をさせたと思う。

結婚式の最期の挨拶で
挫折、引っ越し、車購入、葬式、就職、結婚式と半年でバタバタの自分を思い出しながら泣けてきて

まぁ兎にも角にも、武器のない人間には何も言えない。

結婚式に参列してくれた方々には感謝。

水道設備の営業を頑張って毎月15万の手取り

当時30歳でこの金額はきつい

前途多難な我が人生まだまだ続きます。





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