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住吉から南天苑へ

住吉大社を堪能して、次はチンチン電車でなく、南海電車に乗ることにする。ちょうどチンチン電車が鳥居の前、つまり海側を走っていて、南海電車は住吉大社をつっきって越えた所にある。
安藤忠雄氏の「住吉の長屋」が作られたのもわかるほど長屋が多く下町の雰囲気。あんなに壮麗な摂津国一の宮である住吉大社が清らかにすっくと古から建っているのとの対比が面白い。
駅までの道を歩いていると、昔の大阪の文化サロンが住吉にあったことを示す碑に出会った。

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昭和の文士、 「藤沢恒夫」の居についてとその頃の住吉の雰囲気について。その流行作家であったという藤沢恒夫については全く知らない。帰って、持ってる昭和文学全集を探してもなかった!(スミマセン

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だけど、この碑の文章は面白いので時間のある人は読んでほしい。この辺りに明治天皇の内侍の隠居所ができたことから始まった文化人の集まり。神戸の住吉のハイソな文化サロンとは違い、大阪らしいごった煮文化的なサロンがあったらしい。ふむふむと、長らくこの前で佇んでいた。


あまり縁がなくて久しぶりの南海電車に乗り、河内長野へ。

普通に乗り換えて「あまみ温泉 南天苑」はすぐだった。さすが大阪の奥座敷。まだまだ近くでも行ったことが無くて良い場所が沢山あるなと。感じる。

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南天苑は昔からここに建っていたのではなく、元々堺の大浜公園に南海などの鉄道会社が建設した今でいうスーパー銭湯のような娯楽保養施設「潮湯」の別館。宝塚の温泉を小林一三さんが作ったあたりと同じ頃かな。それが、室戸台風で本館が破壊されて、別館がこの地に移築されて料亭として使われていたらしい。この建物は辰野金吾だろうと言われてたけど、ちゃんと資料が出てきて証明されたのは最近のことなんだそうだ。

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などと、行く前からとても予習して泊まるき満々。辰野金吾の部屋とかがあって関連資料があったら読みたかったのにな。と思ったけど、旅館の前の碑があるだけだったのが残念。辰野金吾の建築写真集なんか見たかったのにな(あるかどうかは知らんけどあるでしょw
お部屋は、アップグレードして頂いてていて一階の角部屋でとても解放感がある。ありすぎると言っても良い。お庭がぐるりと見渡せる。多分客は私と後一人だ。温泉のお湯は無色透明で舐めたけど無味無臭で温泉ぽくないし、入ってるとつるっとしてくることもないんだけど、お湯から出るとすごいポカポカしてあったまって滑らかな肌触り!不思議だ!大浴場?いや中浴場が一つだけのシンプルお風呂。ずっと独り占め。
お食事は部屋食で6時からにすることにした。大阪なんでその時は時短中で部屋食でもお酒は7時までなのだ!なんでやねんw気を取り直して大阪のお酒をいただく。お料理は派手すぎることもないけどとても丁寧で美味しかった。選べるメインで、鰻の柳川風をお願いしていたけど、そのメインを撮るのを忘れたわw鰻を1日に二回も食べて(昼も鰻w)精がつきすぎて眠くなった。温泉に入る。出ると布団が敷いてある。上げ膳据え膳で布団も敷いてもらって気持ちいいね。
さて、次の日。。。と、次の日の予定を組み直す。ていうのも高野山へ行くつもりだったんだけど、その前日に、友達が近くの金剛山に登っていて、超重装備で池が凍ってます。でも8度です!とFacebookで言っていて、こんな寒い寒い時に高野山へ登らなくてもいいのではないか?、そして、その日和歌山で地震もあったし、と考えて、河内長野に女人高野と呼ばれている歴史ある金剛寺というお寺がある事を知り、そちらへ行くことにした。金剛寺に関して調べるうちにTwitterでランしてる人が、金剛寺からの近くにある日帰り温泉の「風の湯」に行って素晴らしかったとツイートしていてそこにも行こうと考える。
そんな予定を組んでたら眠くなってきて、でも風が強くガタガタと日本家屋特有の音がするので、少々怖い気持ちになる。でもそれでこそ日本家屋だ。


次の日、朝風呂入って朝ごはん。そして10時にチェックアウトした。お天気はとても良い。高野山へ行けるような気もするけど天気を調べてみると最高気温が3度、最低がマイナス2度でやはりあきらめた。。。
次のnoteへ続く。

21.2.16

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