雑記20170421

20170421
時々、書きたくてたまらないことがある。言葉でも、絵でもいい。歌でもいい。自分が思っていることや見たものを表現したくなる。これはどういう症状なのだろう。ただの見栄だろうか(僕は見栄張りだ)。だけど、たとえ自分がかいたものを誰も見てくれなかったとしても、それは寂しくは感じるが、僕は心が晴れる。もちろん誰かにみてもらって褒めてもらいたいが、それは見栄だろう。だけど見栄でない部分がきっとあって、それは自分が素敵だと思ったものや言葉を他人と共有したいのだと思う。

銀で描くだけでは墨絵の方の大幅劣化版で終わってしまいそうだし、自分がデッサン力もデフォルメ力もまだ未熟な中で唯一発揮できる色彩感覚を捨象していることになり、何か損をしている(これは今の身体について古武道の師匠から言われることだ)気がしないでもない。

絵と言葉。書。知識。音。アイドル。小世界。それを組み合わせればなかなかいいものができそうなのだけど。

色彩を捨てるのはもったいない気がするので多色を使って描くこともしようと思うが、単色、特に銀一色で描いた時のあの不思議な感覚。紙の上には表れていない色彩や、そのものの内部が不思議とたち現れてくるように思う。
銀は自己主張しない。きらびやかだけど、銀そのものではなくて銀色と銀色の間にあるものが主役になる。そこが好きだ。金ではこうはいかないと思う。

とまあ表現について真剣に時間を使っているが、本職は家庭教師だから、しっかり本を読み自然を見、人に会い話し、勤勉に働き、遊び、心身共に鍛え上げ、生徒にとって良き地図となり、生徒が地図の外の世界に見事に羽ばたいていけるようになろう。見栄張りだけど自分は主役でなく地図(端役)だということを心に置き、日々自分の使命を淡々となしていこうと思う。

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