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不老不死を手に入れた瞬間に巨大隕石で死ぬ人たち

10年くらい前にちょっと変わったゲームが発売されまして、いろいろあってゲームのタイトルは伏せるのですが、内容としては老いや病を完全に克服した世界を描いたゲームです。

主人公やヒロインたちは学生なのですが、つまり永遠に17歳を生きることができるわけです。「永遠の17歳」がギャグではなくなりました。その世界に生きる人たちは毎日怠惰な暮らしをしています。不老不死によって積極的に活動する意味を失いました。

もちろんこれはお話しなので起承転結があります。ある日、怠惰な暮らしをしていた主人公たちのもとに巨大隕石が墜落するというニュースが流れます。つまり主人公たちに「寿命」ができるわけです。

ここまでのあらすじを聞いて、おもしろそうだと思った私は発売された日に買ったのですが、じっさいはあまりおもしろくありませんでした。巨大隕石の接近によって不老不死の人間たちの気持ちをどこまで掘り下げていくのだろうと期待していたものの、なんとなくそれっぽいお涙ちょうだい展開だけで終わってしまった記憶があります。

だけどお話しの設定だけはいまでも「おもしろい」と思っていて、なんとなく普遍的なこととして捉えられるような気がします。要するに「問題が解決してもまたべつの問題が発生する」といいますか、この事実をなんとなくでも腹落ちさせておかないとどこかで不満が爆発してしまう。

だから「完璧主義」だとキツイと思います。もちろん芸術などの分野で完璧主義的なふるまいが利益につながることもありますが、一般的な日常生活において完璧主義の人が得をするシステムになっているかというと微妙ですよね。

「不老不死を手に入れたぜ!」と言っていた矢先に「巨大隕石の衝突」なので、究極の地獄です。不老不死といわれるとどこからどう見ても人類のあらゆる問題を解決してしまったかのように感じますが、巨大隕石の衝突で恐竜みたいにあっさり絶滅してしまうのもこの宇宙のひとつの側面です。

冷蔵庫が発明されても、車が発明されても、コンピュータが発明されても、スマホが発明されても、キンドルファイアーティービーが発明されても、人類は次なる完璧を求めて科学技術の発展に邁進すると。

次なる完璧を求める姿勢は社会的にはとどまることを知らないわけですが、個人としてはどこかで折り合いをつけないと、これからの人生において不老不死を手に入れた瞬間に巨大隕石のニュースが流れて絶望死したくなる瞬間が来るかもしれません。

1Q84、1巻が読み終わりそうです。