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楽しそうにしている人を見ていると

先日、不倫相手と映画館に行った。コナン君の映画を見た。彼女は毎年見に行っているようで一緒に付き合ってほしいと言われた。

上映中にチラッと彼女のほうを見た。彼女はずっとニコニコしながら見ていた。こんなに好きなことがあっていいなと羨ましくなった。

そういえばとひとつ思い出したことがある。10年くらい前に音楽好きの友だちとライブに行ったときだった。

好きなバンドのライブがあるから一緒に行ってほしいと言われた。それでノコノコとついて行ったわけだが、ライブがはじまるやいなや、友だちはずっとニコニコしながら手を振ってはしゃいでいた。

あのときも羨ましいなと思った記憶がある。じっさい友だちは心から音楽が好きなのだろうし、彼女も心からコナン君の映画が好きなのだろう。

その証拠に友だちはいまでもずっとそのバンドが好きだし、彼女もずっとコナン君の映画を見に行きつづけている。

楽しそうにしている人を見るとこちらまで楽しくなってくる。というより「大切な人だから」というのがある気がする。

私にとっては彼女も友だちも大切な人なので、そんな大切な人たちがニコニコしていたらこちらまでニコニコしてしまう。

それと似ていて、すこし「大切」の種類が違うかもしれないが、私がよく読んでいるnoteの人たちにも幸せになってもらいたいと思っている。

私が読んでいるnoteの人たちはなにかに挑戦している人だったり、不満がありつつも仕事を辞められずになんとかやりこなしている人だったり、事情があってニートをしている人だったりなど、要するにさまざまな人たちがいるわけだが、とりあえず全員幸せになればいいと思う。

なにかこう嫌いな人が幸せになっている姿を見るとなんとなく面白くない感情になってしまうが、大切な人たちにはシンプルにそのまま幸せになってほしい。

逆にいえば幸せを願えないということはその人のことが大切ではないのかもしれないし、自分の幸せを願ってくれない人がいたとしたらその人は自分のことを大切に思ってくれていないからだ。

だから応援してくれる人のことを大切にするべきだし、応援したい人のことだけを考えていたらいい。アンチに無駄に反応するべきではない。ネット上でもリアルにおいても。

幸せとはなにかと言ったら「大切な人」と「大切なこと」を考えている今この瞬間のことを指すのだろう。

1Q84、1巻が読み終わりそうです。