幸せになるためにもパワーがいる

俺は幸せになる才能が低いと思う。要するに楽しいことに向かっていこうとするパワーがない。

楽しいことって大変なんだよね。たとえばみんなで飲み会を開こうとする。みんなの予定を合わせる必要があるし、お酒を飲むのにもお金がかかる。

一方で飲み会をしなければ都合を合わせる必要もないしお金もかからない。ちなみにここでいう飲み会とはたとえ話しであって内容はなんでもいい。

しかしこれは俺の感覚であって、「べつに都合を合わせるのもお金を稼ぐのもそんなに大変じゃないし、なんなら楽しいじゃん」という人もいる。

他のことでたとえるなら「学校に行くのはイヤだけど給食が食べられるならがんばれるよ」みたいな。いやいや、こちとら給食を食べるよりも学校に行くほうが大変なんですけど、みたいな。

つまりすべてにおいてパワーが必要なんだよね。結婚して家庭を持って子どもを育てるということがどれほど幸せなことなのかは理解しているつもりだけど俺にそんなパワーはありません、みたいな。

綺麗になるためにもパワーがいるじゃん。歯列矯正とかさ。綺麗になることは楽しいし幸せだよね。だけどそのパワーがないんだわ、と。

だからなんとなく最低限必要なお金だけを稼いであとはお家でゴロゴロしているみたいな、そういうパターンが多い。それがいちばん疲れないから。

以前友だちが「俺の人生はゴミだ」と言っていた。彼は結婚していない。仕事はしているが楽しいわけではないし、お金があったらいますぐ辞めたいと。

でもこういう人は多いよね。結婚してたってパートナーとうまくいってないとか親子関係に問題があって家庭が破綻している人たちは山のようにいるし、仮面夫婦になっている人たちも当然たくさんいる。

ただ思うのはそもそも人生はゴミだということ。だってタイトルがそれを物語ってるじゃん。「幸せになるためにもパワーがいる」だよ。デフォルトで幸せではないんだよ。幸せになるためにはパワーが必要。

そのパワーがない人にとってしてみたら人生なんてゴミだよね。仮にパワーがあったとしてもうまくいくかどうかなんてわからないし、うまくいったとしても今後もうまくいきつづけるかどうかはわからない。

それじゃあ環境を変えてみようと。仕事を変えてみようと。いい出会いがあるかもしれないし、それをきっかけに人生が思いもよらない方向に進むかもしれないと。

だけどもしその先で幸せな人生が待っていたのだとしたらそれまでの人生は不幸だったということになる。そんなのって酷すぎないか。ただの運じゃん。巡り合わせじゃん。

どうしたら幸せになれるのかなんて考えて落ち込んでいる暇があったら行動しろよと思うけど、そもそもそれができてたら落ち込んでねーよみたいな、そういう矛盾が人生なんだと思うよね。

1Q84、1巻が読み終わりそうです。