絶望の人生
この人生、いったいなにを期待していたんだと思う。
朝起きて、仕事に行って、飲みに行って、家事をして、風呂に入って、眠って。
昔は何者かになりたいと思っていた。だけどそれはむずかしいことだということに気づいた。
村上春樹の小説の主人公ではないけど、ただスパゲッティを茹でてお酒を飲んでランニングをして眠るだけの毎日。
そこにキレイな女性が現れて、ときどきセックスをするのかもしれないけど、そんな彼女も風のようにとつぜんどこかへと消え去ってしまう。
結局、人間はひとりで生きていくしかない。家族がいたってその家族は自分の所有物ではない。どれほど愛を注いだところで去っていくのはとつぜんだ。
私は子どもが好きではない。好きではないというか、べつに嫌いではない。その程度の感情だ。これは致命的だと思っている。人間に対する愛がないということではないかと思うからだ。
自分だけが好きであとの人はどうでもいい。子どもが好きではない人というのはそういった価値観を大なり小なり持ち合わせているような気がする。
最近、ひとりでお酒を飲むのをやめた。タバコもやめた。ゲームもやめた。パソコンもやめた。パソコンはやめたというか壊れた。でも買い直してないからやめたようなものだ。
どれも大好きだった。大好きは大袈裟か。ふつうに好きだった。でもやめたところでこの人生はつづいていくし、あれほど依存していた理由もいまとなってはよくわからない。
それらをやめたかわりにこうして文章を書いている。考え事をしている。あとはニュースを読んだりブログを読んだりしている。デートをするときもある。
だけど果たしてこれは私が思い描いていた人生なのかと思う。仕事をして家事をして飲みに行ってデートをして?
そもそもどういう人生を思い描いていたのだろうか。いったい私は人生に対してなにを思い描いていたのだろうか。
有名になって、すごいと思われるような人物になって、お金持ちになって、地位も名誉も手に入れて、大勢の部下を顎で使うような?
もしもそれが希望だというのなら99パーセントの人は絶望の人生を歩んでいるということになる。私の母はあなたさえいてくれればそれが幸せだと言っている。どうやら私の母は絶望していないらしい。
私の問題は無名なことでもなければお金がないことでもない。自分なりの幸せを見つけられていないということだ。
しかしこの人生において幸せなんていうものが果たして存在しているのか。人間愛に欠けているような人間だ。人間愛がない人間は内にこもって絶望の人生を送るしかない。自分なりの幸せを見つけるまでは。
1Q84、1巻が読み終わりそうです。