常識を取っ払う

人それぞれにマイルールがあると思う。たとえば朝起きたら布団をきちんと整えるとか、お風呂ではまず最初に股間から洗うとか。

これって「マイルール」と言ってるけど悪く言えば「自分の常識にとらわれている」とも言える。

つまりべつにお風呂で最初に股間から洗わなくてもほとんど自分の人生に影響なんか出ないはずなのにそれでもなぜか股間から洗ってしまう。

それと一緒で「俺には絶対営業なんか無理だ」とか「素晴らしいマンガを描くことはできない」とかそういう自分のこれまでの過去の実績から来る枠組みにとらわれてしまっていることもあるはずだ。

要するにこれまで俺は股間から洗っていたのだからこれから先も股間から洗うべきだし股間から洗うはずだし股間から洗いたいし股間から洗う以外に選択肢はないみたいな、そういう自己洗脳に陥っている可能性すらある。

何が言いたいのかというともう一度ゼロベースで自分の人生を考えなおしてみてもいいんじゃないかと。

それができたらもしかしたら自分で会社を立ち上げることこそがもっとも充実した人生になるかもしれない。

たとえば会社で気に食わない人がいるとする。だけどその人にモノを言うことができない。それはモノを言わないほうが波風が立たないし、じっさいに波風が立っていないからという実績がある。

だけど実はモノを言っても人生は成立する。仮にその人に嫌われたとしてもあるいは新たな自分が切り開かれるかもしれない。

要するに自分のこれまで作り上げてきた枠組みとか常識とか通例とか実績とか成功体験とかあるいは我慢とか苦労とか、そういうものを取っ払って新たな人生を作っていく。

そうしたらもっと生きやすくなるだろうと、我慢をしなければまわりからは嫌われるかもしれないが、いちばん近くにいる「自分」からは好かれる。

実績や常識や我慢から解放されたらお風呂で最初に洗うところは脇になるかもしれない。もしその変化を起こせたら実は脇から洗ったほうが自分の適性に向いていたかもしれないと気づくことができる。

いちばん強いのはパワーがあるやつでも賢いやつでもなく変化するやつであるというのはだれかの言葉ではあるが、「変化する」はだいぶむずかしい。

だからマイルールにとらわれないという考え方、そもそも自分を固定しないという方向性で考えたほうが結果的にラクなんじゃないかと思うわけだが、最近パソコンがぶっ壊れて友だちからもらったテレビで映画放送を見てるんだけど、これはこれで悪くないじゃんと思いまして。

パソコンがないと生きていけないと思ってた俺はいったいなんだったんだと、最後はスケールの小さい話しになりましたが。

1Q84、1巻が読み終わりそうです。