ダルい

「ダルい」はほんとうにヤバい。一言ダルいと言い出すと、ありとあらゆるやる気が削がれていく。「なあなあ、今度の日曜日どっか行こうぜ―」「いや、ダルいからいいわー」と。

べつに日曜日にどっか行く程度のことをダルいと言って拒否しているくらいであればなんでもないのですが、これがスキルアップとかキャリアチェンジとか転職とか昇進試験とか起業とか結婚とか新しい出会いの場とか、その手のアレに「ダルい」が発動してしまうと、怪しい雰囲気が漂ってきますね。

私が職場で恋をしている村山さんという30代の女性がいまして、すこしまえに彼女と話していたときに私の話しになりました。「前職ではこういうことをしていて、過去にはゲームをつくったり、農業のバイトをしたり、沖縄に移住しようと思って沖縄に行ったこともあります」みたいなことを延々と話していました。要するに、私がここで書いてきたような内容です。

すると村山さんは、「えー、なんかそれに比べたら私の人生なんてクソみたいなもんだわー」とポツリとつぶやきました。それに対して私も取り立ててリアクションするわけでもなく、そのままこの話しは流れてしまったのですが、村山さんのつぶやきがいまでもずっと頭のなかに残っています。

結局、転職はダルいんです。私の場合は完全に業種まで変えつづけてきた人なので余計にダルい。引っ越しもダルいし、知らない土地に行くのもダルい。だけどちょっとだけ心の奥底では「楽しい」という感覚もあるような気がする。あくまでも「気がする」だけですが。

私の場合は、小学生や中学生のころから真面目に勉強して、いい大学に入って、いい会社に入って、そのまま転職することなく、昇給や昇進を目指すといったような人生を最初から諦めていました。どう考えても私には無理だと思いました。だってストレス耐性が低いんだもん。

とすれば、残りの選択肢はどんなもんかと。「会社員やアルバイトを転々とする」か「ニートをする」のどちらかだけです。あるいは「ひとつの会社で働きつづける」という選択肢もありますが、それは絶対につまらないと思ったので真っ先に除外されました。

たぶん一般的な人は「ひとつの会社で働きつづける」という選択肢を選んでいる場合が多いのだと思います。村山さんも言っていました。「いまから新しい人間関係を構築するのがダルい」と。そう、ここで「ダルい」が出ました。そうなんですよ。ふつうは転職なんて「ダルい」んです。だからべつにいまのままでいいか、みたいな感覚になる。それが多数派です。

なんか転職をすすめているような文章になっている気がしますが、言いたいことはそんなことではなくて、私にはダルいを乗り越えながら生きてきたという感覚があるわけです。だから自分の人生をクソみたいな人生だとはいっさい思っていないし、これからも思わない自信があります。3年間のニート生活も楽しかったですから。

1Q84、1巻が読み終わりそうです。