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ニートが美少女を救うまでの長いお話し/求人票

 1日16時間もベッドのなかにいるからだろうか。なんだか頭がぼーっとする。ニートになってから3年が経つ。就職活動はまったくうまくいかなかった。趣味もない。特技もない。友だちもいない。彼女もいない。お金もない。やりたいこともない。将来の目標もない。もちろん仕事もない。そう、俺は正真正銘のダメ人間で、無気力で、だらしのない、どこにでもいる普通のニートだった。

 自室を抜けて1階に降りると叔母のちーちゃんがいた。名前は千絵美。幼いころから俺は叔母さんのことをちーちゃんと呼んでいる。
「あら、たっくん。おはよう」
 ちーちゃんの笑顔はいつも素敵だった。ちーちゃんは俺の11個年上で、年齢は36歳。
「今日もゲームの予定かな?」
「そうだよ」俺は言った。「やっとダイヤまで行ったんだ。次のランクになったらまた教えるね」
「うん、楽しみにしてるよー」
「そういえばお菓子ってなにかあったっけ?」
「いやーそれがなにもないんだよね」
「そう」
 お菓子がないなら用はない。階段を上がって自室に戻る。
 つーか俺はなにを言ってるんだ。べつに俺のゲームのランクがダイヤモンドだろうがエメラルドだろうがちーちゃんには一切関係ない。でもほかになにも話すことがないし、俺の会話の引き出しにはゲームしかないのだ。

 ちなみにちーちゃんは先日、離婚してこの実家に戻ってきた。いまこの家には俺の母の麻子と父の敏幸、そして俺のおばあちゃんであり、母さんとちーちゃんのお母さんである数子おばあちゃん。この5人で住んでいる。

 この家はもともとはただの小さな平屋で、死んだ数子おばあちゃんの旦那さん、つまりは俺のおじいちゃんが建てた家だ。この平屋を増改築して俺の父さんと母さんが2階建ての家をくっつけるような形で建てた。だから全体として見たらけっこう広い。でも俺は基本的には2階部分の自分の部屋に引きこもっているので数子おばあちゃんちの平屋部分のほうにはあまり行かない。

 ちーちゃんは自分の実家である平屋のほうの自分の部屋にいることが多い。つまりは子ども部屋おばさんだ。そして俺は子ども部屋おじさんだ。でもちーちゃんはちゃんと仕事をしているのでそれで十分だと思う。旦那さんと離婚してすぐに働きに出た。俺には考えられない偉さだ。

 さて、今日もエイパッカスの時間だ。1日16時間エイパッカスをやるか、1日16時間眠るか。そんな日々を交互に行ったり来たり、寄せては返す波のごとく、ただそれだけの人生を生きている男。ザ・ニート。あるいはザ・ゾンビ。もしくはザ・ダメ人間。

 そういえばひとつ言わなければいけないことがある。俺はニートではあるが、多少収入のあるニートだ。だから正確にはニートとは呼べないかもしれないが、このお金は純粋に自分の趣味のためのお金なので例外とする。食事は母さんやちーちゃんがつくってくれるご飯を食べているだけだし、一緒に出かけるような友だちもいない。俺の収入はすべてエイパッカスのスキンへと消えていく。

 どんなふうに収入を得ているのかといえば、ブログの広告収入だ。日夜エイパッカスの最新情報をブログにチマチマと書き込むことで些細なアクセス数を稼ぎ、些細な広告収入を得ているといった具合である。とはいっても大した額ではない。月平均でだいたい五千円くらい。高校生のお小遣いくらいにしかならない。エイパッカスのブログを書いて、そのお金をすべてエイパッカスに注ぎ込む。もはや俺の命はエイパッカスとともにあると言っても過言ではない。でもそれでいい。それこそが最強のニートライフなのである。

 小学生のころか中学生のころかは忘れたが、将来の夢という題材で作文を書いたことがあった。だれもが書いたことがあると思うけど、もちろん俺も書いた。いや、正確には書こうとして書けなかった。だって俺には将来の夢なんてなかったから。だから俺は白紙のまま先生に提出した。

「たくやくん、なにかひとつくらいはあるでしょう、将来の夢」
 女の先生で、名前は忘れた。お説教というわけではなかったが、とにかくめんどくさい会話をしたことだけはおぼえている。
「なにもありません」
「うーん、でもみんな書いてるわよ?」
「それはたぶんみんなには将来の夢があって、俺にはないからです」
「でももうちょっとがんばって考えてみたら思いつくかもよ」
「思いつきません」
「なんでよ? いいから考えてみてよ、もう一日だけ猶予をあげるから」
「そもそも将来の夢って考えて書くようなことじゃない気がします」
「え、まあ、それはそうかもしれないけど、でもほら、課題だし」
「課題?」
「書かないと成績が出せないのよ」
「成績なんてべつにいいです」
「そうは言ってもね、成績が出ないといい高校とかいい大学とかに行けないかもしれないのよ?」
「興味ないです」
「いまは興味ないかもしれないけど、大人になったらみんな、あーあ、ちゃんと勉強しておけばよかったなーって後悔するのよ」
「じゃあ、やってもやらなくてもみんなどのみち後悔してるなら無理して成績のためだけの作文なんか書きません」
「え? あ、いやいや、ちょっとまって……きみ、そう返してくるか」

 なんだっけな、あの女の先生の名前。ほかの先生と比べたらちゃんと会話をしてくれたほうだった。俺の味方というわけではなかったけど、それでも俺の言葉に耳を傾けてくれた唯一の先生だった。ほかの先生はそうではなかった。俺がなにかを言っても「いいから今は先生の言うとおりにしなさい」と説教されて終わるのがオチだ。10代のうちは先生の言うとおりに生きて、20代になって社会に出たら自分で考えて行動しろと言われる。これが生きるってことらしい。バカバカしい。

 母さんが帰ってきた。おそらく買い物をしてきてるはずだ。お菓子かなにかを買ってきてくれていればいいのだが。1階に降りて母さんを出迎える。
「おかえり」俺は言った。
「ただいま」母さんは疲れた様子で言った。「まったく店長ったらアレもやれコレもやれってうるさいのよね。ママの腕は2本しか生えてないっつーの」
「あーちゃん、おかえり」ちーちゃんが言った。ちーちゃんは母さんのことをあーちゃんと呼ぶ。麻子だから。
「ほら、ふたりにおみやげ」母さんはそう言いながら俺とちーちゃんにグミを手渡す。
「ありがとー、あーちゃん」ちーちゃんは嬉しそうに言った。母さんとちーちゃんは9つも年が離れている。母さんはまるでちーちゃんのことを自分の子どものような感じで接する。ちーちゃんもずっと姉である母さんに守られて育ってきたせいか、36歳なのだがどこか子どものような雰囲気がある。それでもふつうに仕事はしているので、子どもみたいだろうがなんだろうが、ニートの俺よりははるかに大人である。ちなみに今日はちーちゃんは有給休暇だったらしい。

「ただいまー」父さんが帰ってきた。
「おかえり」俺は言った。
「おかえりなさーい」母さんとちーちゃんが同時に言った。
「なんだ、ママもいま帰りか」父さんと母さんはお互いのことをパパ・ママと呼び合っている。
「ねえねえ敏幸さん、おみやげは?」ちーちゃんは言った。
「そんなものはありません」苦笑しながら父さんは答えた。「あー、そうそう、ほれ、これ、たくやに」
 そう言いながら父さんは俺に一枚の紙を渡してきた。
「なにこれ?」俺は言った。
「いいから見てみなさい」
「んー?」俺は紙を覗き込んだ。「きゅう、じ、ん、ひょう……」
「そうだ」
「え、これ、求人票? みんながうわさしてるあの求人票?」俺は驚いて求人票と父さんの顔を交互になんども見た。
「うわさしてるもなにもみんなが周知しているあの求人票だ」
「ちょっとどうしたのよパパ、いきなり」母さんが会話に入ってきた。
「いきなりって言うかな、たくやもそろそろ働かないとまずいだろ」父さんは言いながらリビングに入っていく。あとにつづいて俺たちもリビングに入った。
「でもたっくんも心の準備ってものが」母さんが言う。
「まあまあ、ママの気持ちもわかるけどな、そうやってずるずる行くとたくやの将来が大変なんだ」父さんはネクタイを外した。「それによく見てみろ、その求人票」
 そう言われて俺は求人票をもういちど見た。
「あ、この求人票」俺は言った。
「そうだ、うちの会社の求人票だ」父さんは言った。「最近営業部の若い子がとつぜん辞めちゃったもんでな、ハローワークに募集をかけたんだ。それでいま求人を出してるところだ」
「あらー、チャンスじゃない、たっくん」ちーちゃんは言った。「こういうのがいいきっかけになるのよ、がんばれ、たっくん!」
「ちょ、ちょっと待ってよみんな、そんな急に」
 この流れはさすがにまずくないか? 俺のエイパッカスのランクはどうなる? 俺の快適なニート生活はどうなる? いよいよ終わりか? 終わりなのか? てか大学を卒業してからいちども働いたことのない俺を採用しようだなんて会社が果たしてこの世に存在するのか?
「面接のことなら大丈夫だ。お父さんが面接官をするからな」父さんはニヤリ笑った。「これがうわさのコネ入社ってやつだ。絶対に入社できるぞ! 安心しろ、たくや」
 まじかよ。終わった。
 俺の人生、いま無事に終了しました。
 どうする。
 いや、どうしたらいい。
 父さんと母さんとちーちゃんの顔を見る。
 父さんの笑顔、母さんの不安そうな顔、ちーちゃんの他人事のようにほくそ笑んでいる顔。
 どうしよう、働きたくねーんだけど。

1Q84、1巻が読み終わりそうです。