マルコのように!バルナバのように!

2024年2月18日

≪聖書箇所≫:使徒の働き 15章36節~41節【新改訳改訂第3版】

15:36 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」
15:37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。
15:38 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。
15:39 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。
15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
15:41 そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。
  

≪聖書箇所の概説≫

 今月の新約聖書の通読箇所は、マルコの福音書です。先月は、12使徒の一人であるマタイがイエス様から弟子として召命された箇所と12使徒の名前の記述の中の2箇所にしか出てこないという話をいたしましたが、本日は12使徒でもないマルコがマタイより多くの箇所に出てきますので、それぞれを開いてマルコと言う人物から学んでいきたいと思います。

≪ポイント①≫ 聖書に出てくるマルコという人物

 新約聖書を調べてみると下記のように10か所にマルコが登場します。(2箇所はヨハネ)
 
①  使徒12:12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。
②  使徒12:25 任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。
③  使徒13:5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。
④  使徒13:13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。 
⑤  使徒15:37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。
⑥  使徒15:39 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。
⑦  コロサイ4:10 私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです──この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。──
⑧  Ⅱテモテ4:11 ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。
⑨  ピレモン1:24 私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。
⑩  Ⅰペテロ5:13 バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。   
 
 ペテロが御使いに導かれて牢から脱出した時、最初に訪れたのは祈り会が行われていたマルコの母の家でした(①)。家が広く、女中がいたり、門があったことなどからマルコの家はかなり裕福であったことが分かります。マルコはヨハネとも呼ばれており(①②③④⑤)、エルサレムに行ったバルナバとサウロに同行し(②)、バルナバとサウロの第1次伝道旅行に助手として同行し(③)、バルナバのキプロス宣教に同行し(⑥)、バルナバのいとこであり(⑦)、パウロから役に立つと言われ(⑧)、パウロから同労者と言われ(⑨)、ペテロから私の子と言われました(⑩)。
 
 マルコは、使徒ではありませんでしたし、イエス様の直接的な弟子でもありませんでした。なのに、どのようにしてイエス様の公生涯をまとめて、「マルコの福音書」を書き記すことができたのでしょうか?マルコは、ペテロの説教の筆記者であり、通訳であったと言われており、ペテロから聞いたイエス様の働きを記録したと言われています。
マルコはエルサレムにある裕福な家庭で育ち、ペテロからもパウロからも信頼される、優秀な人物であることを、うかがい知ることができます。マルコの人生は順風満帆だったのでしょうか?

 ≪ポイント②≫ マルコと思われる人物

 ヨハネの福音書を見ますと、ヨハネは自分のことを、3箇所に名前を伏せてそっと挿入しています。
 
13:23 弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。
13:25 その弟子は、イエスの右側で席に着いたまま、イエスに言った。「主よ。それはだれですか。」
21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。
 
 同じように、マルコも自分の名前を伏せて、マルコの福音書に挿入しているといわれている箇所があります。(マルコ14:51~52)
 
14:51 ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。
14:52 すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。
 
 この箇所の前を見ますと、ユダに導かれて剣や棒を手にした群衆がイエス様を捉えに来た場面であり、後ろを見ますと、イエス様が大祭司のところに連れて行かれる場面です。イエス様が捉えられる場面と大祭司のところに連れて行かれる場面の間に、唐突に51節と52節が挿入されているのです。
 この青年は、素はだに亜麻布を1枚羽織って外に出て、イエス様が連れて行かれる後について行き、捕まりそうになったので、亜麻布を脱ぎ捨てて裸で逃げました。
 この青年の記事はマルコの福音書にだけ出てきます。この青年はマルコ自身だと言われており、この青年がマルコであるとすると、マルコが初めて聖書に出てくる箇所が「イエス様を見捨てて、裸で逃げた」という恥ずかしい場面なのです。 

≪ポイント③≫ 任務を途中で投げ出したマルコ

 第2次伝道旅行を始める時、パウロとバルナバの間に激しい反目がありました。それが最初にお読みした今日の聖書箇所です。(使徒の働き 15章36節~41節)
 バルナバとサウロの第1次伝道旅行の時、助手として同行していたマルコは、一行から離れてエルサレム帰ってしまいました。任務を途中で投げ出してしまった訳です。(④)
第2次伝道旅行を始める時、バルナバはマルコを連れて行こうとしましたが(⑤)、パウロは任務を途中で投げ出したマルコを連れて行くことに反対し、パウロとバルナバは別行動をすることになってしまいました(⑥)。
 
 なぜマルコが任務を途中で投げ出して帰ってしまったかは不明ですが、いくつかの解釈がされています。理由をいくつか挙げてみますと、
a.頭の回転の速いパウロと馬が合わなかったから。
b.ホームシックになったから。
c.伝道の厳しさに耐えられなかった精神的・肉体的弱さがあったから。
d. リーダーがバルナバからパウロに変わったから。
 伝道旅行の出発時は、いとこのバルナバが中心で「バルナバとサウロ」(13:7まで)でしたが、マルコが帰ってしまった時は、「パウロの一行」(13:13)となり、その後は「パウロとバルナバ」(13:43以降)と変化しています。
 
 ポイント②の青年がマルコであるとすると、聖書に初めて出てくる箇所が「イエス様を見捨てて、裸で逃げた」場面であり、第1次伝道旅行の時は、任務を途中で投げ出してしまう、みじめなマルコの姿が見えてきます。マルコの人生は順風満帆ではありませんでした!

 ≪ポイント④≫ マルコの回復

 任務を途中で投げ出してしまったマルコですが、その後コロサイ人への手紙に再登場するまでの消息は聖書に記載されていません。第2次伝道旅行がAD50年ごろで、コロサイ人への手紙がAD61年ごろと言われていますので、約10年間で、パウロから私の同労者と呼ばれ(⑨)、ペテロから私の子と言われる(⑩)まで回復しました。
 
世界一の宣教者であるパウロがその生涯の最後に書いたとされる絶筆の書簡であるⅡテモテの手紙で、「彼は私の務めのために役に立つ」(⑧)と言われるほどマルコは回復し、成長しました。

 ≪ポイント⑤≫ マルコのように!バルナバのように!

 私たちはマルコのようにイエス様を見捨てて、裸で逃げ出してしまうような弱い者です。また、任務の途中で逃げ帰ってしまう者かも知れません。しかし、マルコがパウロやペテロから信頼を取り戻したように、私たちも失敗してもイエス様から力を与えられて、マルコのように信頼を取り戻す者になりましょう!
 性格的に、体力的に、知的に弱さを持っていたとしても、主はその弱さを用いて御業を進めてくださいます!過去にどんな大きな失敗をしてしまったとしても、失望することはありません。神様は役立たずの人間をお造りになりませんでした。私たちは役に立つ者になれるのです!
イエス様から「彼は私の務めのために役に立つ」と言われる者になりましょう!
一緒に告白しましょう。「私はイエス様の務めの役に立つ者になれます!」
 
 また、マルコが信頼を取り戻したのは、バルナバ(慰めの子)が、任務の途中で逃げ帰ってしまったマルコに次のチャンスを与えたからです。私たちはマルコを立ち直らせたバルナバのように、信仰の弱っている人を助ける者になって行きましょう!
 皆さんの中にはイエス様を信じて10年を過ぎた人も多いと思います。そろそろ自分の信仰だけでなく、周りの人の信仰に目を配り、バルナバのように人々を励ます者になりましょう!
一緒に告白しましょう。「私はバルナバのように、人々を励ます者になれます!」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?