ヨナ書からの学び
2023年12月17日(日)
≪聖書箇所≫:ヨナ書 1章1節~17節【新改訳改訂第3版】
≪聖書箇所の概説≫
ヨナ書には、①ヨナが大きな魚に飲み込まれ三日三晩魚の腹の中にいたこと、②ニネベの人々が瞬く間に回心したこと、③とうごまが一夜で生え、一夜で枯れたことの3つの大きな奇跡が記されていますが、本日は①魚に飲み込まれ話に的を絞りたいと思います。
ヨナが大きな魚に飲み込まれ、三日三晩魚の腹の中にいた、というお話は、クリスチャンだけでなく、一般の人でも知っている人がいるほど、有名なお話です。しかし、一般の人は「おとぎ話」としか思っていません。クリスチャンでも史実と捉えていない人もいます。おとぎ話ではなく事実であることを、しっかりと説明できるように学んでいきたいと思います。
ヨナは、実在した人物でしょうか?この物語は、たとえ話(寓話)・空想に基づく教訓話・歴史でしょうか?ヨナは本当に魚の腹の中で、三日三晩生きていたのでしょうか?
本日はヨナ書から、これらのことを共に学んでいきたいと思います。
≪ポイント①≫ ヨナは実在した人物か?
1章1節に「アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。」とあり、ヨナが預言者の一人であることが分かります。列王記第二14:23節・25節を見ますと、
ヤロブアム2世(BC793~BC753)は、サマリヤの王となって41年間、世を治めました。そして、レボ・ハマテ(サマリヤより北へ170キロの地点、北の国境)からアラバの海(死海、南の国境)まで、イスラエルの領域を回復しました。これは、ほとんどダビデ時代の国威の回復でした。しかし、ヤロブアム2世が素晴らしい王だから回復したのではなく、イスラエルに対する神さまの憐れみによるもので、アミタイの子ヨナを通して預言されたことばのとおりでした。
「アミタイの子、預言者ヨナ」が、同姓同名で二人いたという可能性は極めて薄く、紀元前760年ごろに北王国にいた預言者の一人アミタイの子ヨナが、ヨナ書に出てくるヨナであり、ヨナは実在した人物だということが分かります。
≪ポイント②≫ この物語は、たとえ話か(寓話)・空想に基づく教訓話か・歴史か?
ヨナ書の解釈には3つの見解があります。簡単にまとめますと、
① 比喩的解釈(たとえ話として解釈)
「良いサマリヤ人のたとえ話(ルカ10:30~35)」のように、信仰的・道徳的な教訓を教える目的で作られた物語と解釈する立場。
しかし、「たとえ話」であるとすると、歴史上の実在人物が登場することに大きな疑問が生じてしまいます。
② 寓意的解釈(寓話として解釈)
単に道徳的・霊的教訓を伝えるたとえ話ではなく、もっと意味深長なメッセージを含んでいると解釈し、登場人物や動物、出来事に意味や教訓が込められていると解釈する立場。
「ヨナ」には鳩の意味があり、鳩はイスラエルを表す。「大魚」はバビロン・ニネベを表し、魚からの解放は、バビロン捕囚からの帰還を表していると解釈する。
③ 歴史的解釈(事実として解釈)
ヨナ書に書かれているとおり、紀元前8世紀に本書に記述されているとおりのことが、事実として起こったと解釈する立場。
私たちはヨナ書が、たとえ話ではなく、寓話でもなく、歴史的事実として信じています。
詳細の説明は、ポイント④に記載いたします。
≪ポイント③≫ ヨナは本当に魚の腹の中で、三日三晩生きていたのか?
パリの科学雑誌『the Journal des Debats』の編集長である、M.パービレ氏とフランシス・フォックス氏によるレポートをご紹介いたします。
1891年2月、イギリスの捕鯨船「Star of the East」が、フォークランド島沖において操業中、5キロほどの沖合に一頭の巨大なクジラを発見しました。直ちにボート2隻で追跡、1隻がモリを打ち込み、もう1隻がクジラに近づいた時、その尾ヒレに打たれて転覆してしまいました。海中に投げ出された数名の水夫のうち、ジェームズ・バートレイが行方不明となりました。
やがて、そのクジラは仕留められて甲板に引き揚げられました。2日の後、解体されたクジラの中から胃袋が取り出されました。ところが、その中に、人間のようなものがあるのに気が付き、急ぎ引き出してみたところ、それはジェームズ・バートレイでありました。彼は気を失っていましたがまだ命がありました。すぐさま海水がかけられて、やがて彼に意識が戻りました。
それから2週間、彼は船長室で手当てを受け、安静に努めました。意識は戻ったものの、もうろうとした状態が続いていました。4週間の後、彼は回復し職務に戻ることができました。
彼の顔と首、手足はクジラの胃液にやられて、死人のように白くなっていました。彼はクジラの体内で恐怖のあまり気を失うまでのことを覚えていました。海中に投げ出された彼はやがて溺れ、気が付いたら真っ暗闇の中で、体が熱いことに気が付きました。周りを触ってみたり、出口を探してみました。それが魚の体内であることが分かったとたん、恐怖のあまり、彼は失神したというのです。それは、決して酸素不足による窒息ではなかったと証言しました。
ヨナが遭遇したような出来事は、実際上にも起こりうることだと分かります。それ以上に、神様がなされるなら、聖書に書いてあるとおりに、ヨナが大きな魚にのまれたことが事実であると信じることができます。
〔参考-1〕
・クジラの体内に、喉を通過して胃袋とは別の、人間がゆったりしゃがめるスペースがある種類のクジラがいるそうです。
・クジラが物を飲み込む時、直径80センチの固まりなら不可ではないそうです。
・クジラの体内から、全長5メートルのサメの骨が出てきたことが報告されています。
・ある種のクジラは、死ぬ時に胃の中の内容物を吐き出すことがあります。ある時の吐き出された内容物の大きさは、縦2.4 m、横1.8 m、高さ1.8 m(大人6人分の容積)
とありますが、三日三晩と言うと、72時間と考える方もおられるかもしれませんが、ユダヤでは中日は24時間で、前後は数時間でも三日三晩と表現しました。ですから一日目と三日目が1時間、中日が24時間の足かけ26時間(1+24+1)でも三日三晩と表現しました。
イエス様が十字架に架けられたのは安息日(土曜日)の前日の備え日で、午後3時頃息を引き取られ、安息日の24時間後、週の初めの日の早朝(午前6時頃)よみがえられたので、イエス様の十字架の時の三日三晩は約39時間と考えることができます。(マルコ15:33~16:2)
※(ユダヤ式)39時間=3+24+6+6、または(日本式)39時間=9+24+6
≪ポイント④≫ イエス様はヨナ書の出来事を史実として受け止めておられた!
イエス様がヨナ書の出来事を史実として当然のこととして認めて発言した時、律法学者やパリサイ人たちは何の疑問も持たずにいたことがうかがえます。律法学者やパリサイ人たちも史実として受け止めていたのでしょう。マタイ12:38節~41節を見ますと、
イエス様がご自身の「復活」や「最後の審判を警告」をする時、作り話を引き合いに出して語られることは考えられないことです。ヨナこそ、イエス様ご自身が、ご自分と比較して語っておられるただ一人の預言者であることは注目に値します。イエス様は、ヨナの体験と使命を大きな意義のあるものとして見ておられることが分かります。
ヨナは異邦人の町ニネベの救いのために仕方なく伝道し、町全体が救われるという大きなリバイバルのために用いられました。私たちが伝道するのは異邦の民ではなく、同じ日本人であり、家族であり、友人・知人です。ヨナよりも熱心に祈り、伝道していくなら神様が私たちを用いて日本の民を救ってくださることを信じます!信じて、祈り・福音を伝えていきましょう!
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