マタイの召命と私たちの召命

2024年1月21日

≪聖書箇所≫

:マタイの福音書 9章9節~13節【新改訳改訂第3版】

9:9 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイ という人をご覧に なって、「わたしについて来なさい」と言われた。する と彼は立ち上がって、イエスに従った。
9:10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大 ぜい来て、イエス やその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
9:11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがた の先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
9:13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで 来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

≪聖書聖書箇所の概説≫


 今月の新約聖書の通読箇所は、マタイの福音書です。新約聖書の最初の福音書の著者であり、 12使徒の一人であるマタイがイエス様から弟子として召命された箇所が本日の聖書箇所です。
 マタイという名前は、本日お読みした箇所以外では、マタイの福音書10章3節、マルコの福 音書3章18節、ルカの福音書6章15節、使徒の働き1章13節の4か所にしか登場せず、し かも4か所とも12使徒の名前の記述の中にしか出てきません。(本日の聖書箇所の「並行記 事」であるマルコの福音書2章14節とルカの福音書5章27節では彼の名前を「レビ」と記し てあります。)
 12使徒の一人であるのに、イエス様に召命された箇所と弟子の名前の記述にしか出てこない マタイですが、本日はマタイという人物を少し掘り下げて学んでいきたいと思います。

≪ポイント①≫ マタイという人物


 本日お読みした箇所からマタイという人物が取税人であることが分かります。
 税金をローマ帝国や横暴な国家権力から請け負って徴収する仕事をしていた取税人は、当時の ユダヤの社会では軽蔑された職業でした。福音書では,取税人と罪人が同じランクに並べられて います(ルカ15:1他)。規定以上に徴収し私腹を肥やすやり方は、ザアカイの告白にもよく表 れています(ルカ19:8)。
 当時の取税人は、母国語のアラム語だけでなく、ギリシャ語にも精通した教養人が多くいたそ うです。マタイの福音書は、細かな記録、全体にわたる秩序立った構成、貢物・納入金・借金返 済・財産・報酬といった金銭勘定に関することが細かに記されており、いかにも取税人らしい書 き方が見られます。
 マタイの福音書は第一福音書とも呼ばれ、四福音書中キリスト教思想の形成という点では最も強力な影響を持ち、広く読まれた福音書で、取税人であったマタイがこの福音書を書くには最も適任であったと思われます。マタイという人物の記 載は少ないのですが、「マタイの福音書」を残すという偉大な働きをした人物がマタイです。

≪ポイント②≫ マタイの召命


 イエス様はカペナウムの収税所にいたマタイを召し、彼はすぐに従いました。カペナウムは小 さ村なので、以前からイエス様のことを知っていたかもしれませんが、経済的に恵まれていたマ タイにとって、容易に決断できないことだと思います。ペテロやヨハネのような漁師は一度職を 離れたとしても、元の職に戻ることはできると思いますが、取税人は元の職に戻ることは難しい ですし、他の職に就くことも難しいと思われます。(元取税人を雇う人はあまりいないと思われ ます。)
 どうしてマタイは後戻りのできない決断をすぐにできたのでしょうか?聖書には詳しく書かれ てありませんが、イエス様の内から流れてくる聖さと愛を感じたからではないでしょうか?「犬 と取税人は入るべからず!」とシナゴークの入口に書かれるほど、ユダヤ人たちは取税人を軽蔑 していました。ユダヤ人社会の仲間入りを許されず,友人となることさえもいとわれていた取税 人たちには、イエス様の深い愛にふれ、新しい人生へと踏み出していく者が多くいました。
 マタイの福音書9:10では「イエスが家で食事の席に着いておられるとき」としか書かれてあり ませんが、ルカの福音書を見ると、この家がマタイの家であることが分かります。 ルカの福音書5:29「そこでレビ(マタイ)は、自分の家でイエスのために大ぶるまいをしたが、 取税人たちや、ほかに大ぜいの人たちが食卓に着いていた。」 マタイはイエス様からの召命を受けるとすぐにイエス様を自宅に招き、取税人仲間や、パリサイ 人や律法学者から罪人と呼ばれていた人々を招き大宴会を開きました。これも取税人ザアカイと 同じですが、救われた喜びをすぐに行動に表しました。

≪ポイント③≫ 私たちの召命

 「マタイは12使徒に選ばれる特別な人だから、召命を受けて特別な働きができるが、私は一 般人で、特別な才能もなく、私には召命は無い」と言われる方があるかもしれませんが、イエス 様を信じた私たちは皆、神様から召命を受けているのです! マタイの福音書28章18節~20節の「大宣教命令」を見てみましょう。

28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地において も、いっさいの権威が与えられています。
28:19 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、 子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
28:20 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさ い。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

 私たち全員がフルタイムの牧師になったり、全員が海外宣教に出て行くわけではありません が、私たち全員がイエス様の福音を伝える召命を受けているのです。ある人の「あらゆる国」は外国かもしれませんが、多くの人にとっては自分の家族であったり、友人知人であったりしま す。イエス様を知らないすべての人が、私たちにとって福音を伝えるべき「あらゆる国」の人な のです。特別に大きなことをするために召される人もいますが、地道にクリスチャン生活をし て、周りの人にキリストの光とキリストの香りを放つ生活を送る人が多いと思います。私たちが 地道にクリスチャン生活を送る時に、大切にすべきことが1月7日の礼拝で語られました。
1. ともに祈って行きましょう! 自分に対する天の父の御心を求め、周囲の人々のためにとりなし、祈って行きましょう!
2. 聖書を読み続けましょう! 神様は聖書のことばを通して、私たちに語りかけてくださいます!
3. 福音を伝えて行きましょう! 家族や友人、同僚、地域の人々のために祈り、キリストを証し続けて行きましょう!
4. 地域、日本、世界のクリスチャンたちとともに働いて行きましょう! キリストのからだの一部分として、ともに祈り、励まし合い、神の国のために働いて行きま しょう!

≪ポイント④≫ 神様は私たちの持っている物を用いられる!


 私たちは自分を見て、タラントが無い、能力が無い、才能が無い・・・と無い物に目を向けや すいものですが、持っている物に目を向けましょう!  男の人だけで五千人の人が食べて満腹になった「給食の奇跡」の時に、12弟子の一人でペテ ロの兄弟アンデレは次のように言いました。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの 人々では、それが何になりましょう。」
ヨハネの福音書6章9節

 アンデレは少年が持っていた物は役に立たないと考えましたが、イエス様は少年の持っていた 五つのパンと二匹の魚を用いて、大きな奇跡を行ってくださいました。神様は私たちの持ってい る、わずかな物でも用いて下さる方です。ですから、私たちも持っているわずかな物でも神様に 用いてもらいましょう!!
 マタイが取税人という経験を生かして「マタイの福音書」を書きあげたように、イエス様は私 たち一人一人の経験を生かして用いてくださいます。

 私は技術職として会社に入社し、23年間設計の仕事を続けていましたが、新しくできた契約 部門の職場に異動になり、その後、経理部の財務グループマネージャーに移動することになりま した。経理部は畑違いの仕事で苦労はしましたが、経理関係の知識を身に着けることができ感謝 でした。そして今はその経験が生きて、グレイスハウスの会計の奉仕ができています。
 また、経理部の後、新しくできたリスク管理部門に異動になりました。しばらくすると、新し く着任された監査役が、社内に精通した人材を兼務でも良いので付けてほしいと要望があり、60 歳過ぎた私が監査役スタッフに任命されました。妻は「定年を過ぎて、給与が下がったのに、どうして2つも仕事をしなくてはいけないの?」と言っていましたが、 その経験が生かされる時が来ました。多摩地区にある教会が運営している幼稚園が学校法人を取ることになり、役員として理事と監事が 必要となり、パソコンのシステムに詳しい与志也さんと、経理経験者の私に監事の依頼が来ました。監事は 学校法人が正しく運営されているかを監査し、「監査報告書」を提出する必要がありますが、私 は監査役スタッフを経験していましたので、それほど苦労しないで監査報告書を作成することが できました。
 経理部での経験が生きて教会の会計をまとめることができ、監査役スタッフでの経験が生きて 他の教会の運営する幼稚園の監事をすることができ、神様は会社での経験を通して、神の教会の 働きのために私を用いてくださり感謝です。
 神様は私たちの持っている物を用いてくださいます。料理の得意な方、片付けや掃除が得意な 方、音楽が得意な方、話すのが得意な方、話を聞くのが得意な方、子供と接するのが得意な方、 世話をするのが得意な方、寄り添うのが得意な方、まとめるのが得意な方、祈るのが得意な方、 じっとしているのが得意な方、動き回るのが得意な方、微笑むのが得意な方、・・・・・
 私たちは全員、神様から与えられている物があります。自分で気が付かず、またアンデレから 「役に立たない」と言われてしまう物かも知れませんが、神様はそれを用いて素晴らしい奇跡を 起こすことができる方です。自分に期待するのではなく、神様に期待して信仰生活を歩んで行き ましょう!

それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を 用いて、互いに仕え合いなさい。
ペテロの手紙第一 4章10節

 私たちはそれぞれ全員、賜物を受けているのです!ハレルヤ!そして、その賜物を用いるよう に命令されているのです。「互いに仕え合い」とありますが、これは教会内だけでなく、家族・友人知 人・私たちの周りのすべての人々に仕えることであり、イエス様の福音を伝えて行くことです。 私たちの持っている物がわずかな物であっても、それを神様の御手にゆだねて、用いていただ き、神様に用いられる者になって行きましょう!

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