残虐なヘロデ王とあわれみ深い神様

2024年5月19日

 ≪聖書箇所≫:使徒の働き 12章1節~19節【新改訳改訂第3版】

 
12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その
  手を伸ばし、

12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかか
  った。それは、種なしパンの祝いの時期であった。

12:4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して
  監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであっ
  たからである。

12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱
  心に祈り続けていた。

12:6 ところでヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の
  鎖につながれてふたりの兵士の間で寝ており、戸口には番兵たちが牢を
  監視していた。

12:7 すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。御使いはペテロの
  わき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。
  すると、鎖が彼の手から落ちた。

12:8 そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい」と言うので、彼は
  そのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい」と言
  った。

12:9 そこで、外に出て、御使いについて行った。彼には御使いのしている事
  が現実の事だとはわからず、幻を見ているのだと思われた。

12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門
  がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行く
  と、御使いは、たちまち彼を離れた。

12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は
  御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えて
  いたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」

12:12 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マ
  リヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。

12:13 彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。
12:14 ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門をあけもしない
  で、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせ
  た。

12:15 彼らは、「あなたは気が狂っているのだ」と言ったが、彼女はほんと
  うだと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ」と言ってい
  た。

12:16 しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペ
  テロがいたので、非常に驚いた。

12:17 しかし彼は、手ぶりで彼らを静かにさせ、主がどのようにして牢から
  救い出してくださったかを、彼らに話して聞かせた。それから、「この
  ことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言って、ほかの所へ出
  て行った。

12:18 さて、朝になると、ペテロはどうなったのかと、兵士たちの間に大騒
  ぎが起こった。

12:19 ヘロデは彼を捜したが見つけることができないので、番兵たちを取り
  調べ、彼らを処刑するように命じ、そして、ユダヤからカイザリヤに下
  って行って、そこに滞在した。

 

≪聖書箇所の概説≫ 


  本日は、今週の新約聖書通読箇所の使徒の働き12章「ペテロの逮捕と救出」から学んでいきたいと思います。アンテオケ教会が設立され、異邦人への伝道の拠点が確立しました。そして13章では、ついにサウロとバルナバによる第一回の伝道旅行が始まります。それに先立って、エルサレムにおける新たな迫害が記されているのが12章です。

  舞台が異邦人伝道に移るに当たり、エルサレムの母教会が置かれた苦境とその中での神様の守りを印象深く語ろうとしたと思われます。
 

≪ポイント①≫ ヘロデ王の暴挙(1)(1節~5節)

 
 ヘロデ王は、ヘロデ・アグリッパ1世のことです。ヘロデ大王(マタ2:1)の孫で、紀元41年から44年まで、ユダヤの王でありました。この王家は混血であったため、王は保守的なユダヤ社会の指導者に取り入ろうと、教会をえじきにしたのです。こうしてヨハネの兄弟ヤコブがまず斬殺されました。彼は12人の使徒のうち最初の殉教者であります。続いてペテロが逮捕さ
れました。種なしパンの祝いと過越の祭りは同じ祭りです。祭りのにぎわいの直後にペテロを引き出して殺し、政治的効果を上げようとしたと思われます。4人1組の兵士4組=延べ16人による厳重な監視がされました。ヘロデ王はヨハネの兄弟ヤコブを殺し、ペテロも殺そうとする残虐な王様でした。
 

≪ポイント②≫ ペテロの救出(6節~11節)

 
 神様の救いは時機を逸しません。16人による厳重な監視も主の御使いの行動を妨げることは出来ませんでした。ペテロは熟睡していたため、その後の行動はことごとく御使いの指図のままでありました。鎖が落ち、牢獄の鉄門もひとりでに開きました。ペテロにはすべてが現実の事ではなく、幻を見ていると思われました。人のどのような介入も助力もなしに、ただ神様だけが行動されました。ペテロの救いを祈っていたはずの教会でさえ、一連の神の行為が信じられなかったほどです。御使いが離れ去った後、ペテロは我に返り、「今、確かにわかった」と、自分を救ったのは、主すなわちイエス様であると知ったのでした。目前に迫った殉教の危機から、主が救い出して下さった。その事実は,ペテロのその後の活動に新しい意味を与えた思われます。
 

≪ポイント③≫ 教会の当惑(12節~17節)


 ペテロは教会の仲間のもとへ急ぎました。マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家は、すでにイエス様の受難の前後から、エルサレムの集会場所として用いられたと思われます(ルカ22:12,24:33,使1:15,2:1)。マルコは第1回伝道旅行に同行し、「バルナバのいとこ」と紹介される人(コロ4:10)。ペテロを迎えたロダという女中の動転ぶりは、ペテロの
救出が、教会の祈りと期待をはるかに超えた神様のわざであることを物語っています。彼女の報告を聞いた弟子たちの反応も同じでした。祈りが聞かれたことが信じられないのです。

 ペテロはヤコブと兄弟たちへの報告を依頼し、追手の追及を避けるためにも、エルサレムにとどまることは出来ず、他の所へ出て行きました。主イエスの兄弟ヤコブは、すでにエルサレム教会の重要な位置にありましたが、これ以後、ペテロに代ってエルサレム教会を指導するようになり,ペテロは1度の例外(15:7‐11)を除いて、本書の記述から姿を消すことになりま
した。
 

≪ポイント④≫ ヘロデ王の暴挙(2)(18節~19節)


 ペテロが逃亡したことが分かり、ヘロデ王はエルサレム中を探させましたが、見つける事が出来ず、番兵の責任を問い、彼らを処刑するように命じました。彼らの中にキリスト教の同調者がいて、手引きしたと疑ったのかもしれません。

 2節3節にあるように、ヘロデ王は、ヨハネの兄弟ヤコブを殺したことが、ユダヤ人の気に入った事をみて、ペテロをも殺そうとした残酷な王様でした。

 また、19節を見ると『番兵たちを取り調べ、彼らを処刑するように命じ』とあります。番兵は4人1組で4組でしたから全部で16人いたわけですが、何人が調べられ、何人が処刑されたかは聖書に記載されておりません。

 今日は開きませんが、今日お読みした箇所のもう少し後ろの使徒の働き16章では、パウロとシラスがピリピの牢獄の中で賛美していた時大地震が起こり、獄舎の扉が全部開き、囚人たちが逃げてしまったと思った看守が剣を抜いて自殺しようとした記事が書かれてあります。当時は、囚人を逃がしてしまった看守が身代わりに処罰されることがあったと思われます。

 16人の誰もペテロの脱出に協力した者はいませんでしたから、取り調べられても、皆が無罪です。しかし、ヤコブを殺し・ペテロも殺そうとしたヘロデ王ですから、多くの番兵が処刑されたのではないかと思います。ヘロデ王の残虐さ、残酷さを思わされます。
 

≪ポイント⑤≫ あわれみ深い神様

 
 では、私たちの王様はどうでしょうか?
私たちの王様であるイエス様はあわれみ深く、情け深い方ですから感謝です。ペテロがマルコと呼ばれるヨハネの母マリヤの家の入口の戸をたたいた時に対応したロダという女中が喜びのあまり、門を開けもしないで、奥に駆け込んだ事は理解できますが、その話を聞いた弟子たちは、そんなことはあるわけがないだろうと思い、「あなたは気が狂っているのだ12:15」と言いました。さらに「彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。12:16」とあります。

 彼らはペテロの救出を祈っていたのですよね!でも、救出されても信じられず、ロダ「あなたは気がくるっているのだ」と言い、ペテロ本人を見て、非常に驚きました。ペテロが救出されることを信じていなかったのではありませんか!

 でも、私たちは彼らを不信仰だと笑えません。
私たちも、祈っているのに、心から信じていない時があるのではないでしょうか?ヘロデ王だったら、「お前は、私を信じてないではないか!」と怒り、弟子たちも、私たちも処刑されてしまいますが、私たちの王様であるイエス様は、弟子たちの不信仰を「とがめる」事なく、私たちの不信仰も、「とがめる」事はありません。

 神様は信仰の弱い私たちをとがめる事無く、深いあわれみを持って導いて下さる方ですから、本当に感謝いたします。
 
≪あわれみ深い神様の証≫
私の長い信仰生活で、一度だけ信仰を失いかけた事があります。
私がイエス様を信じて、数年過ぎた頃のことです。日曜日の夜の伝道集会が終わり、夜の9時頃に京王線の調布駅まで車で送ってもらい、調布駅のホームで特急電車を待っている時に、こんな事を考えていました。「ああ、疲れたな!もう来週の日曜日は教会に来ないだろうな・・・」と仕事が忙しかったのか? 教会の奉仕が忙しかったのか?祈りが不足していたのか? 何が原因かは覚えていませんが、心も体も疲れていて、そのようなことをボーと考えていました。

 そして、電車に乗ると、私の名前を呼ぶ人がいました。「どうしてこんな所から電車に乗ってきたの?」とその人に質問されました。私は、新宿までの約15分間、「今、教会の帰りである事。自分はイエス様を信じてクリスチャンになった事。イエス様は私たちの罪の身代わりになった事。イエス様を信じれば救われる事。どうしてクリスチャンになったか。」等を語り続けました。

 そして、新宿駅に着いた時には、調布駅でうつむいて電車に乗った時とは全く別人の、「よーし、今週も頑張るぞ!」と心が燃えた私に変えられていました。

 その後、いくら考えてもその人が誰かを思い出せません。男の人か女の人か、同級生か先輩か後輩か、学生の頃の友人か社会人になってからの知人か、まったくわかりません。

 ペテロが御使いに導かれて牢から脱出したように、もしかしたら、人ではなく、神様が私のために遣わした、御使いだったのではないかとさえ思っています。
 

 神様は信仰を失いそうになった私に証しの場を与えて下さり,霊を燃やしてくださいました。神様のあわれみが無ければ、私は今ここに立っている事は出来ませんでした。神様のあわれみを心から感謝いたします。
 

≪ポイント⑥≫まとめ


 ヘロデ王ほどでなくても、この世の主人や会社の上司等は、私たちを責めたり、私たちに責任を問うことがあるかもしれません。

 しかし、私たちの主人であるイエス様は,信じ切れない私たちを責めたり、とがめたりすることなく,あわれみ深く導いてくださいますから感謝です!

 私たちの神様は「主のあわれみは尽きない」、そして「あわれみ豊かな神様」であり、「あわれみ深い神様」ですから、心から感謝いたします。

 今日も、私たち一人ひとりの上に、神様の限りないあわれみと恵みが降り注がれていますから、心から感謝いたします。ハレルヤ!!
 
 最後に、3つの御言葉を一緒に読んで、今日のメッセージを閉じたいと思います。

①哀歌3:22
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
 
②エペソ人への手紙2:4~5
しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――
 
③申命記4:31
あなたの神、主は、あわれみ深い神であるから、あなたを捨てず、あなたを滅ぼさず、あなたの先祖たちに誓った契約を忘れない。


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