試練を乗り越え、神様の願う姿に!

≪聖書箇所≫:ペテロの手紙第一 1章~5章抜粋【新改訳改訂第3版】
 
本日は本文中に聖書箇所をお読みすることにいたします。

≪聖書箇所の概説≫
  
今週の新約聖書通読箇所、ペテロの手紙から学んでいきたいと思います。ペテロの手紙第一には「苦難」という言葉が2回(1:11、5:1)、「試練」という言葉が3回(1:6、1:7、4:12)、「苦しみ」という言葉が11回(2:19、2:20、2:21、3:17、4:1、4:13、4:15、4:16、4:19、5:9、5:10)出てきます。皇帝ネロの治世が62年から66年ごろとされており、伝承によれば、ペテロもパウロも皇帝ネロによる迫害の際に殉教したとされているので、この手紙は64年から66年の間に執筆されたと考えられています。
紀元1世紀のキリストに従った者の多くは、イエス様を信じ従うことのゆえに、苦しみ、虐待され、迫害を受けていました。ペテロは苦しんでいるクリスチャンたちに励ましを与えるためにこの手紙を書き送りました。手紙のあて先は、今のトルコの小アジア(ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジア、ビテニヤ)にいる人々で、彼らはすでに苦難の中にあり、更に今後新たな、しかも厳しい迫害にさらされることが予想されていました。
この手紙は、当時のクリスチャンだけでなく、あらゆる時代を通じて、苦難のうちにある神の民(教会)にとって適切で力を与える手紙ですので、私たちもこの手紙から学んでいきたいと思います。

≪ポイント①≫ この世の苦労・苦しみ
 
 「四苦八苦」という四字熟語があります。非常に苦労すること、たいへんな苦しみのことで、もともとは仏教用語で、あらゆる苦しみの意味です。簡単に説明しますと、四苦は生老病死のことで、
・生苦(しょうく):生まれることの苦しみ、生きることの苦しみ
・老苦(ろうく):老いることの苦しみ
・病苦(びょうく):病気になることの苦しみ
・死苦(しく):死ぬことの苦しみ
 
八苦の残りの四苦は、
・愛別離苦(あいべつりく):愛する者と別れなければならないことの苦しみ
・怨憎会苦(おんぞうえく):忌み憎む者と出会わなければならないことの苦しみ
・求不得苦(ぐふとく):求めても得られない苦しみ(物質的な欲望がみたされない苦しみ)
 ・五陰盛苦(ごおんじょうく):生きているだけで悲しみが湧き上がる苦しみ
  
  イエス様を知らない、この世の考え方ですから、人生を歩んでいく時に、多くの苦労があり、多くの苦しみ悲しみがあると思います。今NHKの大河ドラマで「どうする家康」が放映されていますが、徳川家康は人生について次のように語ったと言われています。
 
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。」
 
  神様を知らない人生は、重荷を負い苦労・苦しみの多い歩みを続けなければなりません。では神様を信じているクリスチャンの人生には苦労・苦しみがないのでしょうか。

≪ポイント②≫ 小アジアにある教会の苦難(ペテロの手紙第一からの抜粋)
 
  ペテロが小アジアにある町々に宛てた手紙から、クリスチャンたちが多くの苦難に会っている姿を思い浮かべることができます。

1:6 そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、
2:19 人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。
3:14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
3:17 もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。
4:1 このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。

  当時のクリスチャンたちは、「さまざまの試練の中」にあり、「不当な苦しみ」を受け、「義のために苦しむこと」があり、「脅かしを恐れたり、心を動揺」させたり、「善を行って苦しみを受ける」こともあり、「肉体において苦しみ」を受けた人もありました。
 
  現在の私たちクリスチャンも、当時のクリスチャンたちほどではなくても、いろいろな問題の中にあるのではないでしょうか。親子関係や人間関係の問題、経済的な問題、健康や病気の問題、仕事の問題・・・問題は異なっても、皆さんも戦いの中にあるのではないでしょうか?
 
≪ポイント③≫ 新たな厳しい迫害(ペテロの手紙第一からの抜粋)
 
  ペテロの手紙第一をさらに読み進めていくと、小アジアの教会が今ある苦難に加えて、更に今後新たな、しかも厳しい迫害にさらされることが語られています。

4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、
4:14 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。
5:8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。 

ペテロは、ポイント②の苦難に加えて、「燃えさかる火の試練」、「キリストの名のための非難」、「キリスト者として苦しみ」、「敵である悪魔が、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っている」と、新たな厳しい迫害がキリスト者に迫っていることを忠告しています。
(この手紙とペテロの手紙第二を書いた後、ペテロは皇帝ネロによる迫害によって殉教したとされています。)
 
  私たちクリスチャンは、イエス様の名前のゆえに、この世からの試練、非難、誤解、苦しみを受ける覚悟をしていなければなりません。なぜなら、この世は神様に敵対し、サタンが「空中の権威を持つ支配者(エペソ2:2)」として、クリスチャンに戦いを挑んでくるからです。
 
≪ポイント④≫ ペテロの励まし(ペテロの手紙第一からの抜粋)
 
ペテロは苦難の中にあり、更にイエス様の名前のゆえに、苦難・迫害が迫っている小アジアの教会に、4:12から5:14で励ましの言葉を語っています。

4:13 むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです。
4:14 もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
5:4 そうすれば、大牧者が現れるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。
5:6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
5:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
5:10 あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。 

  ペテロは、苦難・迫害が迫っている小アジアの教会に、「キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となり」、「栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくだり」、「大牧者が現れるときに、しぼむことのない栄光の冠を受け」、「ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださり」、「神があなたがたのことを心配してくださり」、「完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」と励ましのことばを語りました。
 
  この励ましは、当時の小アジアにいるクリスチャンだけでなく、私たちに、そしてあらゆる時代を通じて、苦難のうちにある神の民・神の教会にとって適切で力を与える言葉だと思います。
 
≪ポイント⑤≫ 試練の意味と試練の目的
 
  ポイント④でペテロによる励ましを見ましたが、なぜ神様を信じている神の民に、神の教会に、苦難、試練、苦しみ、迫害があるか理解できたでしょうか?さらに理解するためには、11月5日の一部礼拝「試練の意味」で詳しく語られていますので、是非皆さんもう一度確認していただきたいと思います。私が学んだことを簡単に箇条書きにしてみます。
・試練を喜びとして受け取れるように、人間の視点から見るのではなく、神様の視点から見るようにする。
・試練は起こりうることとして考え、不意をつかれないように、いつも主と共に歩むことを心掛ける。
・試練はクリスチャン人生の大切な一部分であり、神様に頼るチャンスの時である。
・試練は自分の力を放棄し、神様に完全に頼り、神様と共に歩むようになるため。
・試練が許されるのは、私たちの信仰を試し、忍耐を学ばせ、神様の願う姿に私たちを造り変えるため。
・試練は私たちの霊的筋肉を発達させ、信仰のマラソンを走り切るスタミナと持久力を与えてくれる。
・試練を通過することによって私たちは完成に向かい、聖霊の満たす喜びを経験するようになる。
 
今、日本では信仰による迫害はあまりありませんが、日本でもクリスチャンに対する迫害が起こるような時代が来るかもしれません。そのような時でもあわてることなく、信仰を失うことなく、試練・迫害を乗り越えられるように準備していなければなりません。
「自分には試練・迫害を乗り越える力は無い」と言われる方もおられるかもしれませんが、イエス様は私たちの弱さもご存じですから心配することはありません。自分の罪からくる試練は別として、イエス様が許された試練を一つ一つイエス様と共に乗り越えていくとき、私たちは少しずつ変えられ、神様の願う姿に変えられていきます!

あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。(Ⅰペテ1:7)

◆分かち合いのポイント
 
一週間の聖書通読を通して、心に残っていること、教えられたことを分かち合ってください。もしくは今日のメッセージを聴いて感じたことを分かち合ってくださってもかまいません。


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