History2

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History2

私は世界で一番母が嫌いだった。笑

めっちゃ高学歴なのに、国家資格2つも持ってるのに、不器用で、どんくさくて、朝から晩まで働いて時間がないのに、全然稼いでなくて、
元公務員だったけど辞めて転々と仕事を変えてて、でも同じことで失敗しては仕事を辞めては仕事を探して、
楽しいことも全部置いといて、
ネガティブ思考で、
だからもちろん思考も現実化するから、不幸なことばっかり続いて、
それでも苦労ばっかりしてる母が大嫌いだった。

小学5年生くらいからか、母に暴言しか吐かなくなってて、
「黙れ、死ね、しばくぞ」
口を開けばこれ。

今の私を知ってる人からはなかなか想像つかないかもしれないけど、
心に出来た傷がジワジワと膿んできて、寂しさや悲しさや愛情がいつの間にか恨みや憎しみに変わってた。

母と一緒に外食や、旅行や、恋話や買い物や、色んなことしてみたかったけど、
母の顔を見るだけでイライラして暴言を吐いてしまうから、2人きりで出かけたり向き合って話すことも出来なかった。

みんなお母さんと買い物したり恋話したりしてるのに、
なんでそんな話出来るの?なんでそんな同じ空間に一緒にいれるの???

ってすごく不思議でもあり
ちょっぴり羨ましかった。

私の両親は離婚していて、私は父と会ったことがなくて、

知っているのは父の名字だけ。

小学6年生くらいのある日、
実家の物置から
両親の「結婚しました」と書いてる2人の幸せそうな笑顔の新婚旅行なのかツーショットの結婚報告のハガキを見つけた。

父は意外と背が高くて、
母は見たことないくらい笑顔だった。

色んな思いが込み上げて、

そのハガキを抱えながら布団の中でずっと泣いていた。

写真を見たのはそれが最初で最後。

今でもこれを書いてたらじんわり涙が出てくるけど、

今ならわかるのは、憎しみも苛立ちも元を辿れば愛情の裏返しで

私は母のことが大好きで、
誰よりも毎日楽しそうに生きててほしかった。
笑顔でいて欲しかった。
幸せでいて欲しかった。
大人になるのもこんなに素敵だよ!
って希望を抱かせてくれるような大人であって欲しかった。

20代になって、病気になったり、色々、もうほんとに色々経験して、

ずっと心の中でずっとずっと苦しいけど苛立つけど、悲しいけど自分と向き合ってきたら

小さい時に母に言われた言葉がずっと自分の胸の中にあることに気付いた。

「お母さんは親のために、親を喜ばせたくて行きたくない学校を受験して行って、本当にやりたかったことじゃなくて親が喜んでくれるから、喜ばせるための公務員になって親のために仕事を選んじゃった。」

「本当は本読んだり文字が大好きで時間を忘れるくらい好きだったから、
新聞記者やライターになればよかった。
行きたかった学校に行って、やりたかった仕事に付いてみたかった」

「だから、友日子は好きなことして、好きなように生きたらいいよ。」

と言ってくれた言葉が忘れられなくて、
それが、私が好きなことをやるっていう考えに至った大きなきっかけになってる。

また別で書こうと思うけど、祖父が本当に好きなことをして自営業していて、成功していて、死ぬまでおっきな夢を持ってたし、生き生きとニコニコ生きてたから。

「あんたは好きなことをやって、好きに生きたらいい」

その言葉が鮮明に私の胸に響いたのと、祖父の姿を見て好きなことをとことん極めることにした。
母を反面教師にしてた。

母、最近仕事を辞めた。

福祉関係の仕事をして、それなりに仕事は好きな仕事だったみたいだけどまぁブラックな経営者にこき使われて
血尿でるまで朝から晩までまた働き詰めで、しんどいしんどい言いながら体調悪くなってもそれでもなお早朝から仕事に行こうとするから。
60代がやる働き方じゃなくてほんとに他人軸で身をすり減らして生きてるのが本気で腹が立ったから、

思いっきり怒鳴って、
今すぐ辞めるように私が退職届を作って仕事を辞めさせた。

母は仕事を失ってショックもあったみたいだけど、前より元気で友達とご飯に行ったりスポーツクラブに行ったり、洋裁を習ったりして楽しそうにはやってる。

母を練習台にフェイシャルエステとマッサージをやってあげるようになった。

そしたらすごくシワが浅くなって色が白くなってリフトアップしたりで、身体が軽くなったりで喜んでくれた。

今日、
「嫌なこともしんどいことも多かったけど、やっといいこともあったな」

って母が言ってくれた。

私は自立するけど、母にはこれからもずっとフェイシャルエステはやり続けてあげたいと思う。

私達の親子の楽しい時間はこれからなのかもしれない。

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