正しさには怒りがもれなく付いてくるんだろうか
怒ってる人と一緒にいると疲れる。
たとえば車の運転をしているときに、歩行者や自転車が赤信号になっても平気で渡っていたりすると、内心「オイオイ、ええ加減にせーよ」と思う。
しかし、自分が助手席にいるときに、運転席から罵詈雑言が聴こえてくるのは心地よいものではないし、私はそういう怒り方はしないんだよなと思う。
保護猫活動をしている方を尊敬する。
次迎えるなら保護猫さんを……と思うこともある。
しかし、SNSなどを調べていると疲れてしまう。もちろん、その近くには多くの怒るべき事実がある。酷い飼い方。無責任な餌やり。虐待。
怒るべき事に怒っている人は、正しい。
正しいのだ。
ただ、怒りの感情がたくさん流れている場所は苦手だ。
宗教もそう。
教えに怒りが入っていなくても、マナーを知らない参拝者に正しい信者が怒るシーンを見ると、その宗派全体が苦手になってしまう。
ボランティア活動に参加してみたい気もするのだけれど、きっと誰かが誰かに怒ってるのだろうと思うと尻込みしてしまう。
政治に関心を持とう。選挙に行こう。
多様な生き方を認めよう。
正しい。だから、正しくないことには怒りの声があがる。間違いない。怒りは大切な感情。自分を守る防衛線。正しくないものに怒るのは当然だ。
今の私は、どこかで間違えているのかもしれない。いや、たぶん確実に間違えている。
三段論法を展開しているだけなのかもしれない。
でも、正しい人達から距離を置きたいというのが正直な気持ちである。
正しいより優しいに
怒りより悲しさに
寄り添いたい今日この頃である