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昨日の不安に絡めとられないで新しい今日を始める

大阪府と奈良県のあいだに、二上山という山があります。雄岳と雌岳という二つの頂が連なる美しい山で、眺めるのも良し、登るのも良しな素敵な山です。

さて、1年半ほど前に転職をしました。
前職でご縁のあった方々が起業する際に、誘ってくださいました。
周囲からはリスクが高いけど大丈夫?と心配していただきましたが、最終的には好奇心が上回り、覚悟した上で決めました。

小さな小さな会社です。
起業から半年ほど遅れて入社して、とりあえず現状を把握することからはじめました。
資金のこと。売上のこと。仕事の進め方のこと。
経営も経理も人事も総務も実務も未経験。
わからないことだらけだし、把握した内容の中には問題点が山積み。
覚悟していたとはいえ、不安に苛まれる日々がはじまりました。

受注した仕事をこなすことができるだろうか?
来月の仕事量は十分あるのだろうか?
再来月の支払いができるのだろうか?
失業したら次の仕事はみつかるのだろうか?
通勤電車の中で、黙々とスマホゲームでレベル上げをしながら、頭の片隅で考えていました。

ある朝、ふと電車の窓の外をみると二上山の稜線が見えました。それはもう、感動的で高貴な美しさでした。
この路線から二上山が見えるとは思っていなかったのですが、建造物が途切れたわずかな時間だけ、くっきりと山が見えるポイントがあったのです。

次の朝から、二上山を見るのが楽しみでたまらなくなりました。
もちろん毎日見れるわけではありません。
窓際に立てない日の方が多いので、人の頭に遮られて見えない時もあります。
雨雲に隠れている時も、晴れていても靄がかかっている時もあります。
次第に、朝の二上山が美しく見える日は、良いことが起きるような気がしてきました。

二上山が見えたから、
大きな受注がとれるかもしれない。銀行の融資が決まるかもしれない。昨日の問題点があっさり解消するかもしれない。

逆に二上山がみえない日は、
失注ばかりかもしれない。クレームが来るかもしれない。資金繰りが間違って想定外の引き落としがあったらどうしよう。

まるで朝の占いのように一喜一憂していました。

そんな風にして1年が過ぎた冬のある朝。
電車の扉前、窓から外が確実に見える絶好ポジションに立てたは良いのですが、雨雲が降りてきていて、遠くがまったく見えない日でした。
がっかりしながら、それでも二上山の方角を眺めていました。

あそこに二上山があるんだよなぁ。
いつも見てるから、ちゃんとわかる。まるで見えるようにわかる。
と思ったら、がっかりした気分が引潮のように消えていきました。

「二上山は見えようが見えまいが、ゆるぎなくそこにある」

潮が引いたあとには、平穏な心がもどってきていました。
見えようが見えまいが関係ないよ。ちゃんとそこにあるのだから、一喜一憂しなくて大丈夫。

そして、
「今日は、不安だった昨日の続きじゃないんだ。
 まっさらな今日という新しい1日を始めればいいんだ。」
と思いました。
いつもいつも心配の種はつきないけれど、心配事に絡みつかれても何もよいことはないよ。
新しい今日は今日として出来ることをやっていくしかないよね。

いつのまにか二上山が心の中のゆるぎない存在になっていたようです。
そして、そういうものがあると、毎日気持ちをリセットして新しく始めることができるみたいです。なんかよくわからないけど。
少なくとも今のところ、毎朝、二上山ポイントを通過する際に新しい一日の始まりを実感できている気がします。

たぶん、不安に浸っているときに誰かにアドバイスされても、絶好に信じなかっただろうけど。むしろ、ムカついただろうけど。今は、こんなふうにボチボチやっています。

その「心の中の揺るぎない存在」は、ある人にとっては瞑想することであったり、北極星を見上げることだったり、信仰だったり、愛する人を想うことだったりするのかな。どうなのかな。と思ったりしている、今日この頃です。

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