【公開記事】#22 しん2011年作品「花城」が生まれるまで(前編)
この記事は、しんの踊り子だけに共有している「だいひょうノート」の一部を、公開させていただくものです
まずはこちらをご覧ください。
私たちの2011年の作品「花城(はなぐすく)」。イクマあきらさんに作っていただいた、はじめてのよさこい楽曲です。
今日は、この作品が生まれた経緯を、お話しします。
2010年12月。
中村先生は、沖縄本島北部のある大きなリゾートホテルを訪れていました。
ディナーショーでは、組踊(くみおどり:琉球王国に伝わる歌舞劇)が上演されていて、楽しんでらっしゃったようです。
その舞台で踊られていた「ある1曲」に、中村先生は釘付けになります。
その深夜、東京にいた私の携帯が鳴りました。
中村先生が、興奮気味に伝えてきます。
『すぐに「いくまあきら」というミュージシャンを調べて、音楽を聴いてみて!連絡を取ってみてほしい!』と。
ネットでいろいろと調べてみると、どうやら沖縄在住のアーティストらしい。そして、中村先生が言ってた曲は、どうやら「ダイナミック琉球」という曲のようだ。
これは確かに、心が震える。
深夜1時を回っていましたが、私はすぐにメールを打ちはじめました。
「何からお伝えすれば良いのでしょうか・・・」で始まる10年前のメールは、今でも送信フォルダに残っています。
私の相方である振付師が、沖縄のホテルで偶然、あなたの「ダイナミック琉球」という曲を耳にしたこと。その曲と踊りに、心が震えたこと。
私たちは東京で「よさこい」というものをやっており、それは高知で生まれて今は日本中の人々が踊っていること。ダイナミック琉球が生み出す空気感や懐かしさに、中村も私も共鳴したこと。
そして、一度お会いしてお話をしたい、ということ。
深夜3時を回って、送信ボタンを押しました。
すると翌日。
イクマあきらさんから、直ぐにメールのお返事が来ました。
「メールありがとうございます!イクマあきらです」で始まるメールには、次のようなことが書かれてありました。
私たちのwebサイトや動画を見て、「よさこい」で喜びを追求する姿勢に感銘を受けたこと。
沖縄に住み、人、自然、文化に触れるなかで、音楽を通じて沖縄を活性化させたいという思いが今に至ること。
以前よりよさこいの熱さは感じていて、いつか曲を書いてみたいと思っていたこと。
・・・すぐにお返事をいただけたこと、私たちのよさこいに共感いただけたことに、すごく嬉しかった記憶があります。
年が明けた、2011年2月27日。
中村先生は、一升瓶のお酒を抱えて、沖縄へと飛びました。
イクマあきらさんと直接お話をして、曲を作っていただくお願いをするためです。
この時、私は同行できませんでしたが、二人はすぐに意気投合をしたようです。ふたりともお酒大好きですし笑
2年目を迎えようとしていた「しん」2011年の曲を、正式にお願いすることになったのです。
それは、東日本大震災の発生の12日前のことでした。
つづく。
ちなみに。
中村先生が偶然見たディナーショーの舞台に立ち、「ダイナミック琉球」を踊っていた主役の方。
平田大一(ひらただいち)さんという方です。
実は、「ダイナミック琉球」の作詞者ご本人であり、後に生まれる作品「花城」の作詞をしていただくことになる方でした。
続き(中編)はこちら
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