Deportivo La Coruña ②

もはや、気になる存在以上のものとなったデポルティボ・ラ・コルーニャ(以下、デポル)
この時期のデポルは『スーペルデポル』と呼ばれるスペシャルな存在で、所属選手も各国の代表選手を揃えた豪華さ。それがスペインの北西部ガリシア地方にある人口30万人にも満たない田舎町ア・コルーニャというところに胸が躍った。

思えば、私がサッカーW杯を真面目に見始めたのは、Jリーグ開幕後の1994年アメリカ大会からで、決勝でブラジルがイタリアとのPK戦を制して優勝したのですが、この大会で圧倒的な存在感を放っていたのがブラジルのドゥンガ選手だったのですよね。
のちに来日して、ジュビロ磐田躍進の礎となったまさに闘将。

ただこのW杯で、そのドゥンガ選手の横で、めちゃくちゃルーズボールを回収していて、個人的にはとても気になっていた、まるっこい選手がいまして、それが『マウロ・シウバ』という選手。なんとなく印象に残っていたの。
でもって、そのマウロ・シウバ選手が所属していたのがその当時のデポル。

思えば、華やかなアタッカーよりも陰で支える守備的な選手が好きという、ひねくれた性格も手伝ったのかなと。

そのマウロに加えて、魔術師ファン・カルロス・ヴァレロン、決定力お化けのロイ・マッカーイ、なにもかもが美しいディエゴ・トリスタン、天才ジャウミーニャ、地元出身生え抜き10番のフラン、アラフォーCBドナト御大、トレーラーでクラブハウス通勤するワルテル・パンディアーニなどと、個性豊かで特別な選手がいたこの当時のデポル。

リーガの中では、ビッグクラブとはいえないけれども、実はめちゃくちゃ強くて、しれっと各国のいぶし銀的な代表選手を集めていて、イルレタ監督という当時のトレンドの戦術を取り入れていた監督がいて、だけれどもそのホームである街の人口が30万人弱。
マイノリティが好きな傾向にある私が好きになる要素が揃いすぎていたのがこの当時のデポルだった。

しかも風光明媚で、青く輝く大西洋を望む海岸沿いにあるスタジアムの姿は魅力に溢れていて、そこでこのデポルの面白いサッカーを観たい。現地に行きたいという欲求が強くあった。

これは(リアソール現地観戦しなければ、私は一生後悔するのではないか?)と思うだけの理由がありすぎて。
バックパッカーだった当時20代の私は、この独特すぎる魅力をもったデポルの街、ア・コルーニャを目的地とする旅に当然のように出ることになる。

③につづく


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