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のぼ〜る広報のイチオシ〜福岡ソフトバンクホークス投手編

 本記事の筆者・のぼ〜る広報が、各チームのイチオシ投手と野手を1人ずつ紹介シリーズ、題して「のぼ〜る広報のイチオシ」。曜日は具体的に決めていませんが、随時更新していくシリーズものとなりますので、投稿した際は気にかけてくださると幸いです。第5回は、投手転向からわずか半年でプロからの指名を受けた機体の若鷹・田上奏大選手です。

田上選手ってどんな人?(能力)

 2002年11月26日に大阪府大阪市で生まれた田上選手は、身長185センチ体重88キロとNPBの平均以上の体格を持っています。中学までは投手をしていたものの、大阪の強豪・履正社高校入学と共に野手転校を勧められ、野手でプレーすることを決断しました。その後1年秋にはベンチ入りし、2年夏に控えながら全国優勝を果たしますが、3年春のセンバツは新型コロナウイルスによって中止。大きなアピールの場を失ってしましました。そのタイミングで「大学で頑張ろう」と田上選手は考えていたそうですが、祖父の則一さんの勧めで投手に再転向。すると最速151キロを計測するなど功を奏し、その年秋のドラフトにてソフトバンクにドラフト5位で入団することになりました。
 プロ入り後、21年は出場が無かったものの22年は4月12日のロッテ戦にてプロ初先発。20歳ながら最速155キロを計測したストレートとカットボールなど動くボールを駆使して6回途中無失点の好投を見せ、これからの活躍を期待させる内容となりました。
 さらに22年のオフには約2ヶ月に渡りプエルトリコ・ウィンターリーグに派遣。田上選手にかかる期待の大きさが見て取れますね。

田上選手ってどんな人?(エピソード)

 「田上」と聞いて勘のいい野球ファンの方々は気づいていたかもしれませんが、田上選手は伯父が元ソフトバンクなどで強打の捕手として活躍された田上秀則さんです。小学校の卒業式では、全校生徒を前に「叔父(田上秀則)さんを超えるプロ野球選手になる」と宣言したそうです。プロ野球選手になるという目標は叶ったので、次は一軍で凄まじい活躍を見せてほしいですね。
 また、田上選手がプロに進む決断をした時に大きな理由となったのが、女手一つで育ててくれたお母さん・由香さんの存在です。ドラフトの直前、9月に乳がんの手術を受けた由香さんは術後も体調がすぐれなかったそう。「大学に進めばお金がかかるが、プロに行けばお金がもらえる」という考えを持った田上選手は、投手に再挑戦してからわずか半年でプロの世界に足を踏み入れました。由香さんは田上選手が履正社高校に進学する時も後押ししてくれた存在だというので、筆者はこの話を聞いてより応援したくなりました。

田上選手のここがイチオシ!

 筆者が田上選手の推している部分は、

「母のため」をプロ入り決断の理由の一つにできる優しさ

 です。もちろん、角度のついたストレートと緩い変化球のコンビネーションも田上選手の持ち味ではありますが、筆者は彼の強みは彼の優しさにあると考えています。本来、以前に投手経験があるとは言え、投手として半年間だけ本格的に練習してもプロ入りには他の選手よりも人一倍リスクがかかってきます。しかし、そのリスクも承知の上でプロの世界に入り込むのにはかなりの覚悟が必要になると思います。大元は子供の頃からの夢だった「プロ野球選手になりたかったから」「叔父を超えるプロ野球選手になりたいから」だとは思いますが、その中には少なからず「母に楽に過ごしてもらいたいから」という理由も存在するはずです。そこに、筆者は胸を打たれました。

 以上が、田上選手の紹介でした。記事で紹介されるときは「元ソフトバンク・田上氏の甥」などという前書きがありがちですが、田上選手には気にせず「ソフトバンク・田上」として活躍してほしいですね。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

出典

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