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好きな事は苦にならない

私は小さい頃から
刺繍をする母親を見て
大きくなりました。
それから少し大きくなると
洋服がとても好きになりました。
デザインや組み合わせを
考えたり、イラストにしたり
色を考えたり、大好きでした。

そして、17か18歳の頃、
NONNOという雑誌を
愛読していました。
そこに毎月、洋服の型紙が
あったような気がします。
古い記憶なので
間違いかもしれません。
それまで洋服を作った事は
無かったのですが、
ふいに作ろう!と決意して
布地や材料、ボタンやゴムを
買いに行ったのです。
薄いピンクのシーチングに
鮮やかなリゾート柄だったと
思います。
ブラウスとスカートの
セットアップでした。
多分、ものすごく下手だったと
思うのですが、
私は手縫いで仕上げたのです。
ボタンホールをどうしたのか
今は思い出せませんが、
すごく嬉しくて
たくさん着ました。
それはどこにも売っていない
私だけのセットアップでした。
友達も褒めてくれた気がします。

そしてまた曖昧な記憶ですが
安いミシンを買ったのです。
手縫いよりもはるかに早く
きれいに仕上がり、
感動しました。

親とか友達に
勧められた訳でなく
それまで縫ったこともなく、
何も知らないのに、
完成させられたのは
不思議なくらいです。
でも迷わなかった。
出来ないとか
途中で挫折とか
少しも考えてなかったです。

今思えば、あの服から
始まりました。

そこから、手縫いの服
ミシンで縫ったかんたん服、
を作れるようになりました。

ミシンから少し離れていた
時期もあります。

でも、ふと思い出して
30歳の頃、心斎橋にある
洋裁教室に行き始めます。
そこで、自分のサイズの
型紙をつくるという事を
初めて知ります。
そこではカットソーや
スカート、自分の型紙を作り
体に合うも物を身に付ける
心地よさを知ります。
また、生地の世界の奥深さも
覗かせてもらいました。

そして、また人生の流れが
変わっていきます。
わたしは鹿児島の離島で
超高年齢出産の妊婦に
なっていました。
その頃は離島なので
買い物が不便でしたが、
ようやくネットでの買い物が
出来るようになってきた  
頃でした。

赤ちゃんが産まれてから、
やはり着せるものや
自分が着る物に、
本当に困り始めます。
島のお店には、
ほしいと思うものが無い。
ネットで買うと、
思ってたのと違う物がくる。
結構なストレスでした。
そして、私は、自分の荷物に
ミシンがある事を思い出します。
でも、生地や材料が、
島では良いものが売っていません。

ネットで子育てブログなど
をみていて、
ベビー服を作ってる人が
いました。
昔ながらのものでなく、
可愛いニット生地でした。
その生地や型紙は、
ネットで買ったとの事で
リンク先もありました。

さあ、そこから、
わたしのミシン人生
第二幕が始まりました。
ミシンを踏む事が
仕事にさえなりました。

この続きは、また、
第二弾で書きたいです。

今では判るのです。
人は自分でも気が付かない、
好きな事がある。
ただ、出会ってないだけ、
やってみたら判る。
それはなんの努力がなくても、
当たり前のように出来るし
続けられる。
その時間が心地良い。
それをしないとイライラしてくる。
いつも、次の段階を考えている。
さりげなく人生に寄り添う
信頼のおける相棒みたいな
そういう心強い存在になる。

それに出会えた事は、
本当にラッキーでした。

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