推しとは

推し=ファン、で合っているだろうか?

自分は誰々推し、という表現はした事がないが、
エレファントカシマシとクリープハイプのファンクラブに入っているので
エレカシとクリープハイプ推しという括りになるんだろうか。

ずうっと昔から吉岡秀隆が好きなので吉岡くん推しになるんだろうか。

「推し」って言った事ないな。

推し、ウィキってみたら
推し(おし)とは、主にアイドルや俳優について用いられる日本語俗語であり、人に薦めたいと思うほどに好感を持っている人物のことをいう

後は
「推し」は、単に「好き」というよりも強い支持や憧れの気持ちを表す言葉です。

とあった、自分は自分の好きなバンドや芸人、役者さん、の事を自信を持って好きだと言えるし素晴らしいと思っているが人にすすめたことはない。
自分に対して自信を持って好きと言えるだけだ。

ていうか、単純に好きなだけだった。

私は自分の感性に自信がないが
自分に対しての感性には自信はある。
と言うことは自分は推しはいない。

屁理屈こねて和牛の漫才のようだが、そう思うんだからしょうがない。

自分がどんだけその人や作品に入れ込んでるのを語るのは好きだけど、その人たちの素晴らしさを他人にプレゼン出来ない。
自信を持ってすすめることが出来ない。

自分のフィルターを通すと本質が変化してしまう気がする。

自分が何を好んで何を欲しているかははっきり分かるし迷いがない、揺るぎないといい切れる。
けど人におすすめはやっぱり出来ない。

なのでファンというのが自分にはしっくりくる。

推すっていうと職人みたいなイメージがある。
プライドと責任もって代表として活動するイメージ。

先日のニューヨークチャンネルの推しについて
をみて、ふと考えてみた。

hhttps://youtu.be/mO-Is9-eCis?si=jq6z1AV8uSncvKAJ


この中で話している、推していたのにさめるときの話が興味深く、自分なりに考えた。

私は自分が好きだったものを嫌いになる事はない
嫌いになるってことはその時の自分も否定する事だと思っている。
嫌いになることはないけど、あんなに熱狂的だったのに気がつけば冷静になっている自分に気がつく時はある。

きっとそれが、さめるとき、という話か。

何かのきっかけでスパッと冷静になることはなく、多くの人は徐々にフェードアウトがポピュラーだと思う。

感情が冷えた、冷めるというより
目が覚めた、と言うのがしっくりくるかもしれない。