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経済的DV

私の父はいろいろ変わってる人だったが、際立つ特徴の一つは「度を越したケチ」だった。

どのくらいケチだったかと言うと、自家用車無し、旅行嫌い、外食嫌い、買い物嫌い。家は壁と柱に隙間があっても修理しない(西日がさすと床に細い細い微かな光の筋ができて、きれいだった)。子どもの時の家族旅行は毎年のように、父抜きで、行き先は父の勤務先の保養所(宿泊費激安)のうち一番家から近い伊東で、夏休みに一泊だけ。
生活費は定額で母に渡していたが、食費と日々の雑費でかつかつな金額。掃除機が壊れたから買って、と母が父に言うと「ふーん」と聞き流して終了。母は生活費の残金を少しずつ貯めて、家電が壊れてもすぐ買えるように備えるしかなかった。壁の隙間も、母が、ちぎった半紙と糊で埋めてニス塗りか何かで仕上げてた。
大学の授業料と在学中の生活費(家から通えない距離だった)は出してくれたけれど、予備校に通うのは遠慮した。授業料がすごく高かったから。上の兄弟が浪人して、予備校に通って私大に合格したのに、父は金ばかりかけてこの大学、と、文句言ってたのを思うと、通信教育と高校の教材で頑張るしか無いと考えていた。

父の借金は当時住んでた家(父が結婚する前に祖父が買って父に相続)のローンだけで、それも私が就学前には完済したと聞く。
ケチして貯めたお金は、ひたすら株式運用。バブル景気と勤務先の業績アップで給与が爆上がりしても、無駄遣いは一切しなかったし、家族にも無駄遣いさせなかった。そればかりか、希望して会社が認めれば雇用延長可能、という制度がスタートして、父は65歳までサラリーマンを続けた。

そうやって貯めたお金で、老後に「ちょっと田舎」に土地を買って、注文住宅を建てて、キャッシュ払い。元気なうちは多少は母と国内旅行を楽しんだようだが、どこで何を食べても「お金を食べてるみたいで美味しくない」「本当は旅行なんて行きたくない」とゴネて水をさす。庭の畑で野菜を作り、生ゴミはリサイクルし、皿洗いの水も風呂の湯も節約節約、死ぬまで無駄遣いを嫌い、葬儀は直葬で良いと言い残して亡くなった。母の意向で小さいけどちゃんとした葬式をしたが、あの世でもったいないって地団駄踏んでることだろう。

遺産は、母のところに相続税の税務調査が入るレベルだった。ありがたいと言うより「トホホ」である。
こんなにたくさんお金があるのなら、掃除機の一つくらい買えば良かったのに。家もきちんとプロに修理してもらえば良かったのに。伊東旅行で海に行くバス代が足りなくて、国道をぺたぺたとビーチサンダルで歩いたのは、記憶に残るし面白かったけれど、私が50歳過ぎてから受け取る遺産で、子どもの時の私に夏の伊東でソフトクリームを買ってあげることは、もうできない。

余暇より労働とか、旅行嫌いとか、そういうのは個人の価値観の問題だから否定はしない。
でも、お金を持っているのに配偶者や家族にとって必要なお金を渡さないのは「経済的DV」だ。
私は子どもだったから貧乏な我が家を半ば面白がってたけど(近所の友達は親が社長でヘーベルハウス住まいだった)、母は本当に大変だったと思う。月末に50円残ったら貯金しに郵便局に行ったと聞くから。

私も無駄遣いは大嫌いだし、一番買いたいのは株だし、仕事しようとさえしない無職の夫を許してはいないけど、必要なお金は家族に渡す。父は、反面教師。