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健康でいること。歳を重ねること。

6月5日(水)。仕事が休みだったので、母を連れてきょうだいの家に行く。なぜだか彼女は機嫌が悪く、発言一つひとつに棘があった。

母やヘルパーさんには普通の態度であるが、私には当たりが強い。以前からこの傾向はあって、どうやら私がいらない事を言ってしまうところに原因があるようだ。

普通の家庭なら、外側の人には見えないことが多いが、きょうだいが倒れてから自宅にはたくさんの人が出入りし、プライバシーはあってないようなものになりつつあり、その点が介護をする側、される側の難しいへだたりのような気がしている。

こちらはよかれと思いかけた言葉も、当人にとってみれば嫌な気分になることもあるし、何が良くて何が正解なのかもわからなくもなる。

善意が悪意に捉えられることもある。

変な空気になりつつも、さよならをして母を連れて帰宅。今度は背骨が歪曲してしまい、歩行が困難になってしまった父と散歩をした。

介護認定がおり、歩行器を新しく借りる事が出来たので、持ち手の高さを調整しながら、歩く。今年の始めにはまだまだ元気だったのに、こんなにも人の身体は予測がつかないもので突然変化していくものなのだということを知る。

ゆっくりと歩行器を押しながら歩く父。こんな風に歩きながらも痛みがあるのか終始辛そうな表情をしている。

富士山が見える場所があって、そこまで歩こうと進んでいたが、中々辿りつかない。向こう側の空はあまり良く見えずにぼんやりとしている。

「今日はだめだな、見えない」
と父。歩行器はまっすぐに進まず、放っておくと、骨が歪曲している右方向にどんどん曲がって行ってしまう。さりげなく手を添えながら軌道修正をしていく。

曲がるはずの道を曲がらずに
「こっちだ」と言って真っ直ぐに歩く父。その途中に綺麗な花があって
「あれは立葵。まっすぐ上に伸びていくんだ」と言う。こんなに声が小さかったかな、と思いながら私は聞いていた。

もう私はだいぶん大きくなってしまったが何か自分が「教えなくては」と思うのだろうか。

ふと、まだ父が若くて私が3歳くらいの頃に、最寄り駅に着くと父がきまって自宅に電話をくれて、母に連れられて駅の方向に父を迎えに行くのが楽しみだった。真ん中に私を挟んで両手を父と母につないでもらって歩いたことを今だに覚えている。途中で焼き鳥の屋台があって、色んな種類の焼き鳥を見るのがとても楽しみで、何にも悩みが無くて誰からも可愛がられていた、手足が短くて頭が大きくてゆるキャラ体型だったあの頃。

両親は身体は不自由になってしまったかもしれないが、今まで育てて貰った恩返しが出来る時かもしれない。家族で健康なのは私だけになってしまったが

散歩途中に見つけたカフェ

できるだけのことをして、あたたかい気持ちになってもらえたら嬉しいなと思う。

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