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大切にされるということ

長い間生きていると、色んな人に出会う。気が合う人合わない人、むやみに人を傷つける人、試し行動をする人、幼い頃に愛着経験が少なくそういう部分に乾きがある人。貪欲な人。こころに大きな穴が開いている人。会うと楽しいのだが、不思議と後々疲れてしまう人。

何が正しいとか間違っているとか正解は無いのだが、昔からの付き合いだからとか親友だからとかそういうものにとらわれずに、自分自身を大切にしながらも他人の事も大切に出来る人と、これからは関わっていけたらなあと思う。

自然の中の樹木のような人がすき

先日、ある出来事があって、実は少し考えたり首をかしげたりしているのだが、こうやって時間を割いては「はてな?」と思うこと自体無駄だと感じるようになった。(そうはいっても考えてしまうのだが)

例えば約束を反故にする人。大抵このジャンルの人たちは、自分を正当化するために嘘をつく。そうして、自分がついたそれを別の嘘で塗り固めていくので、自身が「嘘をついた」こと

ずっと安定したこころもちでいたい。

もわからなくなり、全てがまるで本当のことだと錯覚してしまう。この点をこちらが指摘した場合、話し合いにはならないし、全く私の訴えの主旨をわかってもらえずに、「否定された」「嫌な気持ちになった」という自身の気持ちばかりがクローズアップしてしまい、最終的に「あなたが悪い」という認識に陥ってしまう様子が見られる

多分、これは今現在のことではなくて、もっと遡った幼い頃からの積み重ねの問題であると思うので、決して本人が悪いわけではなく、持ち合わせている特性の場合もあると思う。

だからといって、時間はわたしの大切なものであり、簡単にやめるやめない、予定を変えると急になれば「大切にされていない、いい加減に扱って良い人と思われているのかしら」となるわけで、そんな扱いを受けるという事は、今この瞬間その人と距離を取るかもしくは縁を切る時なのではないか、そのきっかけを貰ったのでは、と考える。


未来は明るい

昔、10代からの付き合いの友人が居た。その人は距離が近い人ほど何を言っても良いと思っている人であった。もやもやが毎回積み重なっていく中、最終的に決定的な出来事があり、完全に縁を切った。まだLINEが無い時代だ。
何回か「ご飯食べよう」などの連絡があったが、私は全く反応しなかった。するとその後不思議なことに、別の人々とのご縁がたくさん舞い込んできた。色々な人々と知り合いになれた。

今現在必要のない人間関係を断つことが、互いのためにも大切な時もある。本当に縁がある人ならばまた時間が経ってもめぐりあい仲良くなれるとおもうからこそ、距離を置いたり、あるいは完全に断つことも必要だと思う。私は冷酷な人間だろうか。いや、そうではないはずだ。

地味でも心地良い場所を選ぶ

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