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歩いていて 視えてくるのは自分自身である

大神神社(おおみわじんじゃ)

奈良は櫻井市 車道をまたぐ鳥居としては日本一な黒い大鳥居を抜けたどり着くのが日本最古の神社と名高い「大神神社」
「大神」と書いて「おおみわ」と読むように 古くから神様の中の大神様として尊ばれている

「大神神社」は拝殿のみで本殿がない。ご祭神は大物主大神であるが その裏にある三輪山を御神体としている。拝殿の奥にある「三ツ鳥居」は禁足地と拝殿の間の結界としての役割もはたしている

ここ三輪山のある一帯は 今から約3500年前に一大勢力を持って日本の統治を進めていた 出雲族 が京都を都にした後に政治の拠点として開いた場所であり 三輪山は超古代より“神”とも呼ばれた地球外生命体とのコンタクト地点であったとも言われている。。。

古代より三輪山は神の鎮座する山 いわゆる「神奈備(かんなび=神をまつる神聖な場所)」として位置づけられいて 明治まで「神域」として一般の入山は禁止とされていましたが 現在は登拝料を払い 受付より渡されるたすきを首にかけるなどの厳守すべき規則を守れば「登拝」が許されている

入山中は水を飲むことだけが許されていて 撮影・飲食は禁止。軽率な気持ちでは入山することは出来ないようになっている。隣の摂社「狭井神社(さいじんじゃ)」正式名称は「狭井坐大神荒魂神社(さいにいますおおみわあらみたまじんじゃ)」から登拝できます

今回の目的は 禁足地である三輪山への「登拝」
元伊勢である 檜原神社 も同様ですが 神社裏の 三輪山 がそもそも 御神体
その御神体への「登拝」は神聖そのもので ネットとかを見ると
「本当に人生が変わる」
と書かれていたりするので 一度「登拝」してみたかったのです

曇りの京都を尻目に 気持ちの良い天気の 大神神社 へ独り近鉄線に揺られて向かう
黒っぽい木製の鳥居から空気がズンと変わる
祓いの社 で参拝のご挨拶をして ロッカーにピギーバッグを入れ本殿へ進む

本殿に着くと 太鼓が鳴り響き祝詞の奏上が始まる
呼ばれている感満載!ご挨拶の後「狭井神社」へ向かい その横からお山へ入山する。入山前に宮司さんから注意事項を聞き 人形(ひとがた) でお祓いしてから入山と成る

結構 急でぬかるんだ山道を上がっていく
普段運動しない54歳には結構シンドい。。。
道がぬかるんでいるので「靴が汚れるやん!」と言う事で途中で靴を脱いで裸足になる
山影の山肌は冷たく一瞬後悔するがそのまま登っていく

「本当に人生が変わる」とは言うが そんな事を考える余裕は54男には全く無く ハァハァ言いながら登るのが精一杯なので「歩き瞑想」しながら上がろうと「ありがとう ありがとう」と言いながら登って行く事にした
山道は影の部分が多いが パッと光が刺す所に出た時に風が吹き 櫻の花びらが舞ってくれた 心が洗われるような美しさであった

やっとの思いで山頂に辿り着くと 小さなお社がある その向こうに「奥の院」と言う事で 磐座(いわくら 神が降りてくる依代) がある

休憩がてらエネルギーを貰おうと 立ちながら目を瞑り第7チャクラからラブ注入♫
すると 小さい龍の樣な光が写り線香花火の樣にパチパチと光が飛ぶ
少し前なら 眼球の毛細血管がそのように視えているだけ と思っただろうが今はメッセージだ!と受け取るようにした まあ実際毛細血管が写った光とは少し樣子は違う

磐座は大小合わせそこそこの数がゴロゴロしているが 一番エネルギーが強そうなものに五芒星を描き 最後に 発氣 するのではなく逆にグッと引き寄せるようにしたら グンッと重いエネルギーが心臓を直撃する樣な感じがしてウッとなるw

裸足でぬかるんだ急な山道を降りるのはかなり気を使う
降りる時は「愛してます 愛してます」と言いながら降りて行った

急な斜面を滑り落ちないようにと集中したすると何故だか急に 涙が込み上げて来た
そう言う時に限って周りの人が消え独りになる
特に何か考えていた訳でもなく 何か有る訳でもないのに涙が止まらない
山道を裸足で降りながら 肩を震わす54歳。。。
なかなかオツなものである

無事に降りて来て 狭井神社でお礼を告げるとまた涙腺が緩む

生まれてこの方 山登りと参拝で 泣いたのはこの時が初めてだ
ある意味 人生が変わったかもしれない

僕は昔から理想が高すぎる
それが故に謙遜ではなく 思い描く理想 には程遠いので
僕はまだまだです
と言い続けてきたが これだと後何度か生まれ変わったとしても到底 理想には辿り着かない
ならば今現在 出来る小さい事をニーズがなくてもやって行こうと思う
それが 視えるナニカの形 にならないならそれでも良いではないか

その樣に思います

ありがとう

愛を込めて
NOB⭐

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