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小寺の論壇:原作と映像化の挾間

知財、IT産業、ネット、放送、買ったもの、ライフハックなど、コデラの気になるところを語ります。


「セクシー田中さん」原作者の芦原妃名子さん急死を受けて、様々な報道が出ているところだが、基本的には「映像化されたものが原作と違う」というところに問題の根底があるようだ。

それはもちろん、原作者と映像化を担当する制作会社での契約の話になる。「原作に忠実に」が条件であれば、それが守られない場合は契約破棄もあり得るわけだが、その条件を脚本家が聞いていなかったというのが悲劇の発端であろう。契約を破棄することなく、なんとか軌道修正しようと最後の9話、10話は原作者自らが脚本を書いたというが、それも上手くいかなかったということから、強く責任を感じたのかもしれない。

この背景には昨今、マンガからの映像化は、世界観やキャストのほとんどが原作に忠実、という大きな流れがある。近年のヒット作品で言えば、「鬼滅の刃」や「葬送のフリーレン」、「Spy x Family」など、マンガで人気を博した末の映像化という場合、視聴者は当然「被る」ので、映像だけ独立した表現となれば、当然視聴者が「原作と違う」と騒ぎ出す。原作との違いを楽しめるほど視聴者が大人であればいいのだろうが、そういうわけでもない、というのが大きいのだろう。

以前も本メルマガでちょこっと書いたところだが、横溝正史原作の金田一耕助ものの映像化は、こうした原作と映像化の関係を考察するのに格好のテーマである。今回はこれを題材に、原作と映像化の原点を考えてみたい。

■「三本指の男」から見える時代背景  

金田一耕助ものの映像化としてよく知られるのは、角川春樹事務所が制作した、古谷一行主演の一連のテレビシリーズであろう。今でも動画配信サービス等で視聴できるが、登場人物や世界観も非常に原作に忠実に作られている。

これは裏を返せば、出版社がメディアミックスとして制作しているので、同じ客が映像も見れば小説も読むということが想定されるからである。

ただ推理小説という特性から、犯人まで同じでは魅力が半減するという配慮もあり、原作と犯人が違うといった工夫も見られる。加えて、原作には金田一耕助が登場しない作品も、金田一ものとして制作されるというケースもある。両方楽しめるように、ということだろう。

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