小寺の論壇:誰がどこまで面倒みるのか。「一族の終わり」を考える
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先日、自分の山にタケノコを掘りにいった話をしたが、実は小寺家先祖代々の墓もこの山にある。山の東側の斜面が墓地になっているのだ。
小寺家の記録では、300年ぐらい前に本家と分家が分かれ、我が小寺家は分家として存続している。本家のほうとは今では親戚付き合いはないが、会えばあいさつする程度には知り合いである。
墓は江戸時代から、所有するこの山林の斜面にあった。だが昭和28年に墓地埋葬法が施行され、個人で墓地の所有ができなくなったことから、墓のあるエリアを高鍋町へ寄贈しており、一応墓地としては町営ということになっている。
このエリアには他の家の墓もあるのだが、その中には300年前に分かれた本家の墓もある。墓地の入り口すぐのところにあり、おそらく墓地として最初にそこを開いたものと思われる。うちの墓地はそこを左に迂回して、もっと上の段にある。上にあるから偉いわけではなく、単に下の方から墓地を開拓していったから、上の方になったという事だろう。
本家の墓はきちんと掃除もしてあり、花も添えてあったりするので、誰か見る人がいるのだろうと思っていたのだが、先日行った時にその墓すべてが忽然と姿を消していた。300年以上存在した墓がなくなるというのは、大変な事である。おそらく「墓じまい」をしたという事なのだろう。
■墓が消えて、考えた
筆者は3人兄弟の末っ子で、上に兄と姉がある。兄は筆者よりも早く宮崎を離れ、千葉の木更津に長く住んでいる。筆者の両親が元気な時は、墓を両親が見ていたわけだが、足腰が立たなくなってからは姉が両親を介護しながら墓の面倒も見てきた。筆者が宮崎に転居して4年になるところだが、今は姉と2人で墓の面倒を見ている次第だ。
小寺家は寺という文字があるにもかかわらず、宗教は神道である。歴代の墓石はどれも戒名がないので、開祖からずっと神道であったようだ。
仏教であれば1年、3年、7年、13年、17年といった奇数年で年忌を行なうのだが、神道では1年、3年までは同じで、以降は5年、10年、20年、30年、40年、50年となり、50年を過ぎると「氏神」へと組み入れられる。一般的に仏教が33回忌で最後なのに比べれば、神道は回数は少ないが長いという特徴がある。ちなみに神道では法要や年忌といった「死」を扱う行事がなく、年忌に相当するのが「年祭」となる。まつる、という事である。
とはいえ、先祖を50年間まつるというのも、大変な話だ。死後50年となれば、孫の代で来るかどうか、といったところだろう。筆者の祖父は70代で、筆者が高校2年生の時に他界したが、50年祭が来るのが2030年である。筆者もあと7年ぐらいは生きていると思うので、祖父の50年祭はできると思うが、祖母は94歳と長寿だったので、50年祭がくるのが2048年になる。あと25年。筆者は生きていれば、85歳になっている。
もちろん年祭をやらなければならないのは祖父母だけでなく、両親もある。両親も長寿で93歳と91歳で亡くなっているので、50年祭は筆者が生きている間には来ないだろう。
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