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小寺の論壇:HyperCardの思い出

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先週のいつだったか、ClubhouseでHyperCardの思い出を語るルームができたので覗いてみた。米国在住のプログラマー「バスケ」氏と、テクノロジーライターの大先輩、大谷和利氏の2人でHyperCardの歴史を語るといった進行で、色々と懐かしい話が飛び出した。

そういえば、と当時のことを色々思い出したので、筆者のHyperCardの思い出を語ってみたいと思う。

■HyperCardとは?

HyperCardをご存知ない方も今は相当いらっしゃるだろう。名前は聞いたことあるが実際には使ったことないという方もいるはずだ。

HyperCardとは、OS X以前の旧MacOS上で動いた、カード型データベースである。OSに無償でバンドルされていたため、そこから多くの作品が生まれた。データベースから作品、というと変な感じがするが、HyperCardの最初は、リレーショナル型データベースとして導入された。

しかし実際は、データベースにとどまらない多彩な機能を有していた。モノクロのお絵かきツールである「MacPaint」の機能を丸ごと搭載して画面に絵を描くことができたのだ。HyperCardはカード型の画面が積み重なっているので、複数枚の違った絵を描いておき、ディゾルブで次のカードを表示すると、パラパラ漫画の要領でアニメーションが表示できた。

また画面内に配置するパーツとして、ボタンやテキストボックス、表組みなどが用意されていた。それらのパーツの中にHyperTalkという言語でスクリプトを書いておくと、ボタンやテキストをクリックしたら特定の動作をするといった具合に、画面構成を決めて何らかの目的に合うものを作れるという、オブジェクト指向言語のプラットフォームでもあった。

筆者が最初にMacを買ったのは1990年のことで、SE/30というモデルだった。当時は音楽のシーケンサーとして使うはずで、MIDIインタフェースなども買い込んだのだが、いつの間にか音楽よりもMacそのものの方が面白くなってしまった。

HyperCardで作られるファイルは、「スタック」と呼ばれた。当時は、HyperCardでアニメーション作品が作られており、それが商品として流通する時代だった。フロッピーディスク数枚組で、絵本のように売られていたのだ。絵は描けるが発表するチャンスがない、そういう人たちがこぞってデビューした。当時そうしたアニメーション作家たちは、「スタック作家」と呼ばれていた。

無料でバンドルされていたHyperCardに筆者が興味を持ったのも、そんなことが始まりたった。ただ絵を描くことには興味がなく、もっぱらプログラミングの勉強としてHyperTalkに取り組んでいった。HyperTalkは記号がほとんど使われず、英文に近い構文で成り立っていたので、理解しやすかった。

そんなこともあって筆者が最初に作ったスタックは、確定申告表を自動計算してくれるツールだった。実際にそれで数年間、確定申告の書類を作っていたものだった。もちろん当時から会計専用ソフトはあったのだが、確定申告のために高いお金を出して年に一度しか使わないものを買うのはどうなんだと思ったんである。

で、その確定申告用のスタックを無償で公開したら喜ばれるかもしれないという気持ちはあったのだが、会計士でもないのに処理の細かいところまでわからないし、仕分けや勘定項目なんかも自分に関係あるものしか知らないので、アップロードは断念した。

その代わり、何かみんなが楽しめるものでアップロードできるものは作れないかな、と考えるようになった。当時、NiftyServeのアーカイブにアップロードするというのは、何だかコンピュータソフトの「作り手デビュー」のような立ち位置だったのだ。

■ゲームを作り始める

みんなが楽しめるもの、と考えた時に、会社の社員旅行のバスの中でUNOをやって盛り上がったことを思い出した。なんか疲れてるのか妙にテンションが上がっていて、よく考えると大したことないのに大爆笑みたいな、そういう雰囲気をゲームとして再現できないか。

方向性としてはUNOと同じルールのカードゲームを作るということに定まったが、あとは実力との相談だ。HyperTalkもいくつか本を買って勉強はしてみたものの、それほど高度なところまではわからず、複雑なものになるとよく途中で動かなくなったりした。デバッガがそれほど強力なものではなく、エラーしている箇所はわかるが、それをどう解決すればいいのかがわからない。そういうレベルからスタートした。

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