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小寺の論壇:ローランド50年、その黎明期を振り返る

毎週小寺信良が、知財、IT産業、ネット、放送、買ったもの、ライフハックなど、コデラの気になるところを語ります。


今年ローランドが、創業50年を迎えたそうである。ヤマハの創業が明治20年、カワイの創業が昭和2年であるのに比べると、元々アコースティック楽器メーカーではなく、最初からエレクトロニクスの会社だったので、楽器メーカーとしては意外に新しい。

これを記念して、ローランドでは特設サイトを設けて50年の歴史を振り返っている。

・Roland 50th Anniversary
https://www.roland.com/jp/roland-50th-anniversary/

年代それぞれにエポックメイキングな製品をリリースしているのだが、他社の情報が載ってないので、その当時の雰囲気まではわからない。

中学生の頃からローランドに貢ぎ続けてきた筆者が、昨今の製品は皆さんもよくご存知だろう。ここではあまり良く知られていない、1970年代から80年代の歴史を補強してみたいと思う。一緒に特設サイトのページを繰りながらご覧いただければ幸いだ。

■1970s - アナログしかない時代

1977年、BOSSブランドのエフェクター1号機として、「BOSS CE-1 CHORUS ENSEMBLE」が登場する。当時はまだコンパクトエフェクターシリーズを出しておらず、CE-1はかなりでっかいエフェクターだった。のちにコンパクトエフェクターでもCHORUSが登場するが、ローズ・ピアノとの相性はCE-1のほうがよく、筆者は1981年頃に購入した。エフェクターの中でも結構高かったように思う。

シンセサイザーとしては、同社初のポリシンセ「JUPITER-4」が1979年に出ている。当時で38万5,000円という価格は国内シンセではかなり高価だったが、国内初の実質的なシンセサイザーは1977年のヤマハ「CS-80」で、128万円だった。国内初のシンセサイザーは1975年のヤマハ「GX-1」という説もあるが、あれは実質エレクトーンである。

70年代はシンセサイザーの勃興期にあたるが、当時はモノフォニックが主流で、ポリフォニックは学生が買えるようなものではなかった。当時高校生だった筆者は、楽器屋さんに展示してあるのを見たことがあるが、弾いたことはなかった。

実際に弾くことができたのは、1983年頃のことで、当時秋葉原にあったLaOXの楽器館にあった練習スタジオに常設してあったからだった。音色がメモリーできるので、練習前にギタリストがチューニングなどしている間にいそいで音を作ってメモリーしていたが、翌週の練習では全部上書きされていたので、毎回作り直しだった。

同年の製品で記憶に残るのは、「SDD-320 / DIMENSION D」である。ラックマウントのエフェクターで、モードボタンが4つあるだけという、変わった製品だった。これはモノラル音源をステレオ化というか、立体化する際に使われるもので、コーラスともまた違っていた。筆者が音響工学を学ぶ学生だった1982年頃、見学に行ったスタジオ内で使われており、あれはどういう理屈なんだろうと当時の専門学校の先生に聴いてみたが、先生もご存じなかった。

この専門学校には、1979年発売のモジュラーシンセ「SYSTEM 100M」もあった。使われずに放置してあったので、先生に許可を取って昼休みに1人でいじって遊んでいた。アナログ・シンセサイザーの原理に忠実だったので、パッチもセオリー通りに繋いでいけばちゃんと音が出た。

同級生がKORGの「MS-20」を持っていていじらせてくれたのだが、あれはさっぱりわからなかった。それに比べると、SYSTEM 100Mはアナログ・シンセサイザーの原理に忠実だったので、パッチもセオリー通りに繋いでいけばちゃんと音が出た。

1978年には、世界初のシーケンサー「MC-8」が発売されている。まだMIDIはなく、CV-Gateというアナログインターフェースで楽器をコントロールする。YMOはファーストアルバムから使用し、またライブでも使用しているが、実際に他のミュージシャンにも広く普及したのは1981年の「MC-4」からだ。これは価格が安くなったからというよりは、鍵盤から入力できるようになったというところが大きい。

■1980s - デジタル音源誕生

ローランドのシンセサイザーの代名詞となったのが、1981年の「JUPITER-8」である。ポリフォニックのアナログシンセとしては、Sequencial Circuitの[Prophet5と並んで、名実ともに最高峰と言っていいだろう。ただ98万円という価格だったので、アマチュアに手が出せるようなものではなかった。筆者も1983年頃にスタジオで1度だけ弾かせてもらったことがある程度である。

1980年の「TR-808」といい、当時はアナログ技術で最高峰を突き詰めようとしていた時代であり、プロ向けの製品が多かった。

1981年には、コンパクトなリズムマシンとして、「TR-606」が出た。友人が買ったのでしばらく触らせてもらったのだが、ディスプレイが何もないので、変拍子を入力するのが非常にわかりにくかった。同じくベース用の「TB-303」も貸してもらったのだが、これはもっと難解で、全然思ったようなフレーズが入力できなかった。

結局、友人は「TB-303」を手放してしまったのだが、のちにテクノグループ「HardFloor」がTB-303を駆使したサウンドで一斉を風靡し、「ああ、これってそうやって使うのか」と思ったものだった。

1982年には「JUNO-6」、それからすぐ音色が保存できる「JUNO-60」が出た。当然音色が保存できるほうがいいわけで、JUNO-6を出てすぐ買った人は不満たらたらだった。

当時ローランドのシンセサイザーは、音がザラッとしており、単体で弾いてもあまり面白い音ではなかった。よって筆者のようなホームレコーディング派の人たちには、不評だった。一方バンドなどのアンサンブル内に入ると音が立つので、バンドマンには人気があった。

1983年にヤマハが世界初のフルデジタルシンセ「DX7」を発売し、世界がまったく変わってしまった。その年から音楽そのものが変わってしまった。

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