見出し画像

見られる覚悟

先日、すっかり定宿化しているあるお宿で、ちょっとばかり不愉快な思いをしました。旅館の方が失礼だったとか、部屋に不満があったという内容ではありません。ただ視界に入った見知らぬ人相手に、私が勝手にモヤモヤしていただけに過ぎないのですが。

そこはとても居心地のよい旅館。長年通ううちにすっかり顔馴染みになった仲居さんも何人かいらして、その方たちとのやり取りも食事の時の楽しみの一つです。こっそり彼女たちのことを”裏女将たち“なんて呼んでいるのだけれど。

さてそんな夕食時のこと。少し向こうにいた若いカップルの動向がどうにも気になって仕方がない。世の流れとはいえ、女性はずっと携帯を離さず画面を見たっきり。それに対して男性側もなんの疑問も持たず慣れている様子です。

まあ、ここまでだったら赤の他人の行動なんで気にしなければいいのですが。

お料理が運ばれてきても、その女性は顔を上げることなく画面を食い入るように見つめいじっています。私の大好きな仲居さんが一生懸命お料理の説明をしても「ありがとう」の一言もなく完璧に無視。(本人は無視しているつもりはないんだろうけど)なんだか仲居さんが気の毒になってきて、ちょっと腹も立ってくる。こうなってくると、いつどんなタイミングで携帯から目を離すのか、そちらに興味は移ります。

しかし、、、食事が終わるまで携帯を離すことはなかった、、、お見事。

その様子を見ながら思い出したのは『華氏451度』(レイ・ブラッドベリ著)を映画化したフランソワ・トリュフォー監督の作品です。書物が禁じられた近未来を描いたいわゆるディストピアもの。主人公の妻は架空体験できる大型スクリーンに左右され、画面の前で一日の大半を過ごし、その中で繰り広げられる世界の中で生きているのです。

携帯に夢中な女性と映画に出てくる女性。これって(画面が)小さいか大きいかの違いだけじゃない?と思ったのです。しかし、そんなことに気を取られるのは、私が歳を取って小うるさくなったってこと?と、ちょっとばかし反省するも、なんだかいや~な気持ちが残ってしまいました。

それからしばらく経ったある日のこと。自宅で雑誌を処分しようと、ぱらぱらページをめくっていると「自分の食べている様子も誰かの食事風景なのだから他の人が見ていることを心掛けて」といった内容の文章が目に飛び込んできたのです。そう!私が言いたかったのはこれなんだ!あのカップルはあの時、私の食事風景だったから、心地が悪かったのだと合点がいきました。

一方で、もちろん真逆のことだってあります。たまたま目にした人の振る舞いや佇まいがとても素敵で、それを見ただけで一日中ご機嫌で過ごせたといった経験。前者と違い、見知らぬ人が心地よい風景になっていると本当に嬉しくなります。

そんな出来事に遭遇したのはまさしく同じお宿でした。この出来事の少し前に滞在したときのこと。ライブラリーで本を選んでいると、2人組の年配のマダムが館内を案内されているところに居合わせました。英語で説明を受けているのだけれど、纏っている空気感やおしゃれな着こなしから察するに、ぜったいにヨーロッパからの観光客。きっとフランスとかベルギーとか、そんな感じかな?と、本の背表紙を眺めながら人間ウオッチングも同時進行。なにせ私は年齢を問わずお洒落な女性を見るのが大好きなものですから(笑)。

夜がやってきて、またしても食事の際の話です。そのお2人がそれは粋な浴衣の着こなして現れたのです。通りすがりに聞こえたのはやっぱりフランス語!日本人以上にしっくりと決まったかっこいい浴衣姿にほれぼれしました。服の着こなしが素敵な人は、人種国籍問わず着物も決まるんだ!なんて海外の方に教えてもらっった気がします。サーブされる度に仲居さんの説明に耳を傾け、静かに語らいながら食事を楽しむ様子も実にシックでエレガント。そんな彼女たちの風景はいまだ私の記憶の中で鮮明に残っています。

さて、まだインテリアコーディネーターとして駆け出しだった若い頃。先輩コーディネーターに「京都の○○○屋に泊まりたいな~」なんて話したことがありました。当時は「芸の肥やし」とばかりに先輩たちにくっついては素敵な空間に出入りしていたのです。しかし彼女の返答はちょっと意外なものでした。

「そりゃ、お金さえ出せば泊めてはくれるだろうけど、、、」きっと「そうよね~!一度泊まりたいよね!」と返ってくるとばかり思っていたのです。先輩が言いたかったのは、自分の存在がその場に相応しいかどうかをきちんと見極めなきゃってこと。そのときのやり取りは若い私への戒めとして、心に残ることとなりました。

もちろん若いから贅沢しちゃだめ、なんて言うつもりはさらさらありません。けれどせめて他の人の風景になれる覚悟を持って背伸びするべきなんじゃないかなあと、とすっかり歳を重ねた身としてはそう思います。かくいう私は京都の○○○屋でどなたかの風景になる自信は今をもっても全くなく、おそらく一生そちらでお世話になることはないでしょう。

さて携帯ガン見女性の次の朝のお話。あ~また食事の時間が一緒だ、やだな~なんて思いつつやっぱり観察してしまったのですが、ついに携帯を離すときがやってきました!

それはなぜか?なにせそこは片肘ついても食事ができる夕食とは違い朝食の時間。お茶碗とお箸を持つと、3本手がないと携帯が持てなかったからのようです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?