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618g*超未熟児出産体験記(2)

618g*超未熟児出産体験記(1)

入院生活はじまる

2005年4月2日

運ばれた部屋は6人部屋。3人並びの真ん中だった。
トイレと食事以外は寝たきり。
私の病名は「子宮頚管無力症」。
子宮頚管が胎児の重さをささえきれず
開いてきてしまうというもの。
まだたったの500gくらいなのに。
情けない頚管め。
このままでは危ないので数日様子をみて
子宮頚管縫縮術をすることになった。
ただし、手術をすることによって刺激となり
分娩に進む可能性もあるとのこと。
でも、何もしないよりはと手術を望んだ。
成功して経過がよければ地元の病院への転院も
考えられると聞き、やる気まんまん。

子宮頚管縫縮術・21週

2005年4月6日

いわゆる子宮口をしばる手術。
半身麻酔で手術台へ。手術してるのがわかって気持ちわるい。
ずっと吐きっぱなしで、麻酔科のお姉さんが
だきしめてくれていた。終わって手術室を出ると
駆けつけてきてくれた両親と義母をみつける。
とりあえずVサインをしたつもりが指がうまく開けなかった。
どうかうまく子宮口が締まりますように。

その後の検査で特に開いてきている様子もなかったので
車椅子で運ばれていたトイレに歩いていっていいことに。
ほんの10メートルくらいの距離だが
歩けるのがうれしくってうれしくって
トイレにばっかり行っていた。
その帰り道、ふとみたナースステーションで
「死産証明書」なるペーパーを目撃してしまう。
怖かった。

悪化

2005年4月10日

朝の検診。ちょっとだけ経過が良くなっていたので
いつもなら待たずに一番に診てもらっていたが、
待ち合いで待つ事に。入院して初めて他の人と話した。
2人いて、一人は7ヶ月での前期破水と
もう一人は8ヶ月で全置胎盤。
それぞれ症状は違うものの、話をしていて心強かった。

いつもの診察台へ。
先生の顔が曇る。
縛った所から風船みたいに胎胞がでてきているらしい。
安静度急上昇。楽しかったトイレへのおでかけもおしまい。
ベッドの足側を高くした状態で寝たきり。
軽い逆さ吊りみたいな感じ。
トイレは簡易トイレをカーテン内に設置。
両脇に人がいるんですけど...
ゴハンの時も起きてはいけないという。
週末以外はなかなか来れない旦那。
どうやってゴハン食べるの...?

その頃右となりのベットに産後のママが入ってきた。
満期産のママで幸せいっぱいの声が一日中響いてきた。
ひくつになるような性分ではないが、
いつかああなってやると心に誓った。

ブルー炸裂


2005年4月某日

特に落ち込むことなくやっているつもりだったが、
大泣きした。それというのも朝の検診の時のこと。
担当の先生がなかなか朝の検診で診てくれなかった。
大きい病院だし忙しいんだな~と思いつつ、
その日の担当の先生に今後のことを聞いてみた。そ
の返事が半分笑ったように、
「担当の先生に聞いてないの?
僕に聞かれてもなぁ...へへ」って感じで。
なんだかショックだった。不安な気持ちがあふれだして
部屋に帰って泣いてしまった。
いつもなら「なにさ!」って思い返せるのに
へこたれてる自分がなおさら嫌だった。
これがマタニティブルーみたいな感じなのかも?
と思いつつとまらない。

すると向かいの産後間もない3人目ベテランママが
お花をもって訪ねてきてくれた。
とっても優しい人でどこの誰か、
もはやわからないけど、お礼が言いたい。


22週越え

2005年4月13日

今日は担当の先生の検診。
22週越えたところで、よくここまでがんばったねと
言ってもらった。生存率は0%ではなくなったとのこと。
でもまだまだ小さいしもうちょっとがんばろうね、
このままうちの病院で元気な赤ちゃん産もうねと言われる。
もう、地元に帰る望みはなくなっていたので
元気よく「がんばります!」と答えた。


出血!?・23週


2005年4月20日

朝目覚めると、なんか変?
手をあててみるとベットに血が!
そして子宮の張り止めの点滴が外れてる!
寝相がそんなに悪かったのか!
はたまた昨日入れ直した点滴に問題があったのか!?

今日も担当の先生。特に問題ないとのこと。
出血もひどくなく止まった。ホッ。
ここまできたらあと1週間がんばろうと言われる。
今週のりきれば生存率は一気に70%まであがるとのこと。
おっしゃー!やったるで!逆さ吊りにしてくれぃ!
くらいの気分。ゴハンも寝ながらてづかみで食べるのにも
慣れてきて看護師さんにもほめられるほど。
でも、ラーメンの時は大変だった。
熱いし、汁を落として麺を口に運ぶ。
見られてはならぬ光景だった。


応援


2005年4月21日

朝、左隣の人が回診後、緊急帝王切開することに。
妊娠中毒症らしかったが、母体があぶなくなったらしい。
いきなりの帝王切開を言い渡されてすすり泣きながら
「ホンマに?ホンマですか?!」と何度も聞いていた。
顔も知らないママだけど、
「ガンバレー!」と心の中で一生懸命応援した。

その時期、部屋は重症の妊婦さんばかりに
入れ替わっていて、何日か前にも夜中に
斜め前の人が悲鳴をあげたまま運ばれそのまま
帰ってこないという事件があったり、
張りが止まらず、うめき続ける人がいたりと
室内が緊張した雰囲気になっていた。
次は自分かもときっとみんな思っていたと思う。

(2009年著)
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#出産成長の記録
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#まめ天日記

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