真の公平さとは?

昨年度より行われている
東京都教育委員会主催のスピーキングテストの
申し込みの段階で
少々(いや、だいぶ).親として
障害者、児支援をするものとして
非常に不愉快、且つそれは違うだろ!
と、言う思いをしたのでしたためておく。

令和5年度は
通常回11/26
予備日12/17
に、執り行われた&行われる
スピーキングテスト。
通称、ESAT-J

我が家、情緒級在籍で不登校
と、言うこともあり
連絡がうまくいかなかったことは
一部仕方ないにせよ
問い合わせをした際

「支援級の子はかならずしも
 受けなくていい。ときいております。」

と、窓口案内に言われたことに
先ず、非常に不愉快さを感じた。

ならば、なぜ
配慮の日付を決め
どんな配慮がほしいのか?
校長印迄もらい、英語教諭だけならぬ
担任にまで
配慮が必要な生徒か?
などと、問い合わせるのか?

まず、それ以前に
支援級の子と、一口にいっても
内申点を考慮される生徒は存在するわけです。それ以前に
内申点考慮に関わらず
受けたい!と言う気持ちや
受けさせたい!と考える家庭の
思いは何処に?

少し話はよれますが
申し込みもまた、煩雑で
今どきの中学生ならば
多少迷いながらでも
友達数名でワイワイしながら
申し込みは可能な感じだと思われます。
ただ、不登校寸前の精神状態だったり
友達関係がうまくいっていなかったりしたら
1人でこなさなければならないかと思うと
少し、難しいでしょうし
そのような状態であれば
大人(親や教員、年上の兄弟や知り合い)に
相談することも難しいでしょう。

さて、そこでです。
申し込みに失敗してしまいました。
受験不可になりました。
受験不利になりました。

その子のせいなんでしょうか?

今回の支援級の子は受験しなくていい。

本当にそうなんでしょうか?

なんのための配慮受験なのでしょう?
受験票の発券
受験地で席につかせるまで
が、配慮ではないでしょうか?

1人では難しい子は受験しなくていい

ではなく、席につき
受験ができる状態までを
配慮というのではないだろうか?

もしかすると
結果は散々かもしれません。
努力は本人次第です。
ただ、機会を与える
と、明記している以上 
親、教員、自治体教育委員会
都教育委員会は
問い合わせや訴えがあった際
また、異変にきづいた際は
何かしらの手立てを早い段階で
行いべきではないのだろうか?

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