地に足をつけて生きるラピュタに見る生きたい生き方と後方支援

地に足をつけて生きる
ラピュタに見る生きたい生き方と後方支援

「土に根をおろし、風と共に生きよう。
種と共に冬を越え、鳥と共に春をうたおう。」
「土から離れては生きられないのよ!」

と、いうわけで
今日も今日とてアニメにみる
地域臨床ネタですwww

生きたい生き方
は、言わずとシータの祖先と
脈々と生き方を受け継いだシータですね。
後方支援は、パズーじゃありません。
ドーラです。
シータはドーラという後方支援を得て
生き方を再確認する。
考え方の違う血を分けた者とは
分かち合えないと再認識する。

ドーラは空(風と共に生きる)を
実践しているが
根っこにあるのは
母なる大地のような懐の深さ。
つまり、土、根。
科学とは?
人との関わりとは?
ここ数年はそう言う見方で
この作品をみてしまいます。

現代においては
いくら血を分けていても生活を共にしても
曽祖父母、祖父母、父母、自身の世代
そして子の世代では
あまりに育ちの背景がちがいすぎて
いわゆる、世代間ギャップが
埋められない…というケースが
多発しているように感じます。
また、どうやっても理解しあえず
改善の難しいケースすら出会います。

特に子どものころでも昭和を生きた世代

それ以降の世代
では、特に感じます。
昭和は昭和でも初期と後期では
やはり、大きく考え方に違いが
見受けられます。

この作品は一見、
時代錯誤に見えてしまう派閥

最先端を選ぶも失敗してしまう派閥
の、話だなぁ
と、言うのは子どもの頃から感じていて
昨今は
地域活動や福祉を泥臭くやる派

ドライに最低限の付き合い派
と、見てとっています。

そして
泥臭く生きていると
初めは1人、2人でも
繋がりに感謝することで
後方支援が増え
生きたい生き方…に最終的には
繋がっていく。
とも感じています。
そして、必ずしも
血の繋がりのある者だけが味方ではなく
姻族だったり、近所の人だったり
フォーマルサービスだったりすることこそが
地域の力だと感じます。

障害者支援も同様で
祖父母、両親と子の世代
祖父母、両親は「甘え」と捉え
本人は「help」と捉える。

かく言う私自身も
娘氏には年中~小学中学年くらいまでは
出来そうで出来ないことに
頭で理解はできても
知識と行動が伴わず
自分の育ちの背景も手伝い
求めるものが大きかったなぁ…
と、反省するところです。
ただ、私はここで言う後方支援が
沢山ありました。
ダメなものはダメと言ってくれる人
イイネ!頑張ってるじゃん!
と言ってくれる人
沢山の人に囲まれたことで
助けられながら生きていることです。

ハコから地域へ
やはり、そのあたりも
仕事や活動にも繋がってます。
目指せ!ドーラ!なのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?