自分を赦す①

いつもありがとうございます!

ポイントワード
あなたの中の母親像

今日は、
自分を赦すという話をしますね。

なんでこんな話をしようかと思ったかって言うと、

セッションをしていて
クライアントさんの中にも
誰かを許せてなかいひと。

父親とか母親とか、
頭自分自身のこととかを許せてないっていう人がまほとんどなんですけど。

イメージで言うと
私が見えてるエネルギーとかそういう感じのもので言うと、
そういうの許せないっていう思いを言ってはいるけど握り締めてるって言う感じなんですよ。


皆さん意外とその自覚はないんだけどね。

ここ最近何名か、立て続けに同じような境遇の方が来たんですけどね。

お母様がもう病気で亡くなっていてという状態なんですけど、
その亡くなったということを許せないっていう方が 何人かいらっしゃって。   

その許せないっていうのは
認められないっていうのも含めね。

お母さんが死んでしまったことによって、
私を置いていったっていう怒りとか悲しみとか
あとは お母さんがいなくなったせいで、
私が孤独になったとか。

あとはお母さんがいなくなった、
亡くなったせいで
お父さんとか家族の関係性がうまくまとまらなくなったとか。

そもそも亡くなったということを受け入れられてないっていうのもそうだし、

後はその亡くなったお母さんとかお父さんがどちらが亡くなったっていうことによって、
家族間の関係性が変わってしまったり。

いろんな負担が自分のところに来た、とかっていうことによって、許せないっていう人が 結構今いてね。

セッションでやらせていただいてて、
ずっと見ていて思うのは、
簡単に手放せば楽だろうけどね。

そうはいかないから、多分握りしめてる。

そして
何か根底で許せないっていう思いとかがすごくあったとしても、
その許せないっていう自覚をするのがまず難しいんですよ。

家にセッション来て頂いてる方で、
エネルギー的には、
許せてないとか怒ってるとか怒ってるとか構造になってるって言う風に私には映像とかエネルギーとして見えてるけど、
ご本人はそんなことありません。
みたいなね!

母親のこと好きだったし、
仲も良かったしそんなことありません、
とか父親のことを好きだったし、
そんなことありません。
っていう方がほとんどなんですけど 。



でもだからこそ許せない、
好きだったからこそ
何で私を置いていったんだ。
とかそういうものってどうしてもあるんですよ!

それは父親母親だけじゃなくても、
旦那様が先に入ってしまった時、
とかまあ子供さんが亡くなったとかね。

すごく近い人が亡くなってるとかそういうのもそうだけど。

自分より早く死んでしまったということがね、
許せない
 

セッションを通して自分自身の内側と向き合ったりすることもあるんですけど

許せないっていうキーワードから
ずっとご自分の内側とかを見て行った時に、
私自身も父が何年か前に早く亡くなっていて、
それが間違いでなくなってるので、
多分許せないって私はすごくあって

自分自身で自覚はしてましたけどね。

そこら辺は、
いろんなセッションとかそういうのを自分自身も受けたりとかしてるし、
それで癒やしたりとかしてるけど、
やっぱり クライアントさんのね、
そういうのを見ていて、、、

やっぱり自分自身も
父がそうやって自害して亡くなってるって言うことも含め

何で死んだんだとか。 なんでそんな風だったんだみたいなのはどうしてもあるから。

まぁ、私自身もクライアントさんにそういう話とかさせて頂いてて、
私も許せてなかったなーっていうね。

気付いたりする。

人って多分私もそうなんですけど、

母親って凄い完璧な存在だって思っていて 
マリア様のような、
そういうふうにこう思いたいし、
そういう風に接して欲しいと思ったりする。

聖母マリアのような愛を母に求めるんですよね。
でもやっぱりご自分が欲しい愛の形って親っていうのは来れなかったり。
特に母親っていうところはね。

くれなかったりするじゃないですか?

それは母親の性っていうよりは、
その自分が求めている形と母親がくれている愛情の形が違うって言うだけなんだよね。

けどやっぱり幼少期とかって、
こうして欲しかったのにこうしてくれなかった。
とか話を聞いて欲しかったのに、
話を聞いてくれなかった!とかこ

もしくは こうこうして欲しくなかったのにこういうことした!みたいにやっぱ受け取るんですよ、
子供って 。

やっぱりその完璧な母親像っていうのをどうしてもある。

子供が無意識にだけど欲しがったりとかする愛情の形をね。

でも完璧な母親って言うのには
答えられないんですよ。

私自身も自分で子供を産んで、
世の中で言ういいお母さんとか、
いい奥さんとかってもサラサラ無理で。

そこに寄せていく努力とかもしたことはあるけど、
まぁ無理なんですよ。

求められても無理な時は、
無理だから自分が親になった時には、
無理だなみたいな。

その聖母マリアとかマジで無理と思って、
私が無理なんだ。 じゃあ私の母親だって無理なわけだって。

ででもやっぱり母親に対する幻想ってどうしてもみんな持っていて、

なんかお母さんは完璧とか、
お母さんは完全体とかって言って
愛情を無償でくれるものっていう前提とかがあって それは信じて疑わないんですよ。

何かができなくて、
何かが欠如してて、
なんかいろんなものがだらしなかったりとか、
いろんなものが、
例えばこう虐待とかするような母親だったとしても、
でもやって聖母マリアのような完全な完全たる存在になれるんだろうという風に思ってるんですよ。

ちゃんと自分に向き合うっていうことはしてきたんだけど、
、それでもやっぱりなんかこう私はまだ母親を許してなかったんだなーっていうのにすごく思う気づいて。

未だに母親っていうところに幻想を持っていて、
母親っていうのはこういうもんでしょって思っていて
こうするのが普通でしょ。
とかこうやってやってくれるのが
普通でしょう?っていまだにどっか思ってた。

あと完璧な母親像を追い求めるじゃないけど、
母親はこうあってほしいみたいななんかこう。
完璧であってほしいという間は、
変に攻めるっていうか、
そういうところが無意識だけどそういうのがあったりとかするんですね。
 

でも完璧じゃない母も許すんだなーってとか思って 。

なら どんなにすっとぼけてても、
どんなに抜けてても、
どんなに理想の母親像っていう所と違ったりしても
それは父親でもそうだけど、
理想っていうところとかけ離れていたとしても、
それはもう許すしかなくて
そういう完璧な母親じゃないということも許すしかない。

例えば何かが足りない愛情を欲しい形でくれないっていうことも許すしかないし。

母親がこうしてくれなかったからとか、
父親がこうしてくれなかったからとか、
それ以外にもパートナーがこうしてくれなかったからとかって言って、
周りの せいに とかに する人がほとんどなんだけど 、
でもなんかこう周りのせいとかにしていると
本当に現実って変えられない。

なんでかって言うと、


















形而上学、宇宙の法則、錬金術、カバラなどの見えない領域をコントロールして現実世界に望むものを顕現させる魔術師であり、錬金術師 無限の愛と富が循環する世界を創る『愛の革命家』、生きているだけで富が湧き出るレディ養成などを行う4歳男の子と0歳双子の女の子をもつ三児の母