自分を赦す②

いつも
お読み頂きありがとうございます!

ポイントワード
自分で赦す

その誰かのせいにしたり
環境のせいにしたりするってことは
主導権の相手方にあるって事なのでね。

例えば母親だったら、
母親っていうところに主導権があるって言うことだから。

誰誰のせいって言った瞬間に、
自分から主導権が移っちゃうんですよ。

その相手にだから、
誰かのせいっていう方が簡単だったり楽だったりするって思ってるかもしれないけど

それを言ったとたん、
主導権が自分の手元からなくなるって言うのが分かってれば
誰々のせいって口が裂けても言えなくなると思うんですよね。

結構ね、母親を許せない人ってすごくたくさんいます。

やっぱりあの時こうしてくれなかったっていうのが許せなかったり、、

例えば、
私じゃなくて下の子ばっかり可愛がったと思うとお姉ちゃんばっかり可愛がったとか。

○○が欲しかったのに買ってくれなかったとか。

なんかねそういうことって実は覚えてたり根深く残ってたりして、
結構許せてないのね、

そういうのが 許せないと
自分自身もこう握りしめてるっていう事によって、

力が入るので、

肉体的に力が入るのもそうだし
エネルギー的なところでも力が入って
滞るっていうのがあるので どうしようもない。



私の場合、父に対して

やっぱりこう急にいなくなるっていう事も許せない場合は多いけど、
やっぱり自分で逝ったっていうところも許せないしね。
でもそれも許す。


そうすると、
自分も楽になるし
それをした父親もう癒される。


だから母親を許せないとか、
父親を許せないっていうのは何かしらみんな抱えているんですけど

でもその相手を許す母親とか父親を許すって、
相手のために許すんじゃなくて 自分のために許すんだよね。


自分が握りしめてるものとか、
自分がさばいてるものね。
さばいてるものを 自分で許す。
例えば 自分がいい母親じゃないっていうことも許すし、自分がいい子じゃなかったっていうことも許すし。
自分が頑張れないっていうことも許すし、自分が例えばお金を稼げないっていうことも許すし。



自分が近所付き合いが出来ないっていうこともう許すし、
自分が友達とうまくやれないっていうことも許さんですよ。
後は自分が姑と仲良くできないっていうことも許すし。
自分が子供を産めないってことも許すんですよ。



自分が何かで成果を出せないっていうことも許すし。

そうやって人は、
いくつも自分をさばいてるし自分をこうこうでなければならないって縛ってる。
だから自分で許してあげるんだよね。

私の所に来る方は、
子供が欲しいけれどできないっていう方とかも言って
何で欲しいんですか?って聞くと
親に孫を見せてあげたいっていう方が大半なんです。

でも
欲しいって言ってそういう不妊治療とかしたからってできないこともあるわけで

でもそうするとやっぱり行こう子供が産めない自分っていうものをさばいたり。

孫が見せてあげられない自分っていうのさばいたりするんですよ。

私は子供いますけど、
子供はいるけどその 相談されてる方のエネルギーとか心情っていうのは本当に手に取るようにわかる。

どのくらい自分を責めているかっていうことも分かるので、
すごく張り詰めてる。

本当に
変な話殺人でもおかしたんじゃないか?っていうぐらい罪の意識があったりするんですよ。

それは自分の親に対して孫を見せてあげられないっていう罪悪感とか、
自分のパートナーに子供を見せてあげられない、
産んであげられないっていう罪悪感とかは旦那さんの親御さんとかも含めね。



お金と時間をかけて
不妊治療をしててお金もすごく出て行って
時間もすごくかけてで体力的にも大変だと感じると、
罪の意識がどんどん大きくなってきてしまうんですよ。

そういう意味でボロボロになってくるしね。

どんどん追い詰めてて
どんどんご自分を許せなくなってどんどん罪悪感を抱えてっていう感じになるので、


だから子供が欲しいという気持ちは否定するわけではないけど、
でも産めない自分っていうのも許す必要があります。

なんかこうやっていうものに対してだったり、
人間関係っていうものに対して抱いている幻想っていうものを手放す必要がある。


そうじゃないとね、自分が苦しいんですよ。

結局、 いろんなものを手放せないでいると
それはエネルギー的にとか感情的にいろんなものを手放せないでいると自分自身がどんどん 追い込まれていくから。

だからね 自分を許す生き方っていうのは、
何でもオッケーじゃなくて

例えば
殺人っていうのはよくないことじゃないですか。
殺人っていう行為を許してるわけではなくて、その殺人ていう行為自体は許してないんだけど
その人に対して 許してるって事ね。

行為を許してるって言うのと
そういう風にしてしまった人を許してるって言うとちょっと違う難しいかもしれないけど。

その行為とか行ってしまったことに対しては許すっていうのはないけど、
そのそういうのを受け入れるって事ね。

受容すると言うか
罪悪感っていうのは本当にいたるところでみんなを抱える感覚なんですよ、


許されてないことって自分の中でやっぱりたくさんあるからそれは自分自身っていうことだったり母親父親っていうことだったりパートナーとか友達とか まあ、仕事関係の人とかね、全部許すんですよ。



例えば 
私が鬱になる原因だった職場があるんですけど、
21歳とか22歳で店長っていうのをやらせてもらってて、部下が一斉に止めてねその後体調面とか心の面がボロボログラグラして崩れてて、
買い物依存症になって睡眠障害になって
まあ完全に鬱になっての感じの流れなんだけど。

でもちょっと経ってから、
すごくねその部下たちを責めてたなーって
自分で部下たちのせいにしてたな。

いろんなことを思って
自分がすごい未熟で至らなかったなーっていうのを落ち着いてから思って、
どうしても謝りたくなって連絡をとったの。

ひとり一人に謝りたいと思って

本当は、連絡するのも怖い。
だって急に来なくなった部下たちですから、明らかに私のこと嫌い。
でも一人一人に連絡して。

一人一人にあっていって、直接会う時も 手は震えるし、足が震えるし。
めちゃめちゃ怖くて
そもそも会ってくれるかどうかっていうとこもあるし。

その時鬱も治ってなかったし、
対人恐怖症みたいな。

それでも謝りたいって思って。

一人一人に謝りに行ったんですよ。

まああの時は私の余裕がなくて 人間として未熟でごめんねって。

あんな止め方をさせてしまってごめんねって一人一人に謝って。

私も号泣してたけど、多分その時みんなその時のスタッフも全員号泣してくれてて、

なんで その子達が辞める前に、
私が仕事を離れる前にそういう関係性を築けなかったのかなとか。
なんでもっと手前に
新人で仕事ができない子たちを許してあげられなかったのかなってすごい思って。

早く許したりとかしたほうが、 
お互いにとって良いのに、  


人はやっぱり時間がかかるんだよね、
赦すっていうことに対してね。



時間がかかってもいいから握りしめてる。

いろんな許せないっていうことを一個一個 許すっていう風にして行くと、 許せなかった相手とか
自分の行為とか
そういうものを許して行けるようになるんですよ。

自分はどんどん許すっていういろんな方向にね。

緩むと、
本来の自分の生きる道っていう方向に行きやすくなる。

やっぱりいろんなものを握りしめてたり、
いろんなものを手放さないでいるとエネルギー的にも重たいし

本来の自分じゃないエネルギーなんでね。

あの時のあれが許せてないなあとかの時の、
こういうの許せないと思ったとか そういうのはね、多分向き合って行くと何かこう自分が何を許せないのかとかどういう人をさばいてきたのかとか分かると思うんですね。


自分の側面で許せてないこととかさばいてることって人のこともさばきますから。
 

自分というものに対して、
完璧なものを求めてたり完璧主義って言われるものだったりすると、
やっぱり他者に対しても完璧じゃないと攻撃的に文句をいう。

自分の世界にすごい嫌な人が多いとかすごいムカつく人が多いとか嫌いな人が多いとかっていう場合、完全に自分をさばいてるって言うのが外に現れてるだけだから。

だからもし嫌いな人が多い人とか、
あの人ありえないっていう人が目の前にたくさんいる場合は 
自分自身のことをそうやってさばいてるからね。

目の前にそういう人たちが現れてるだけだから目の前の人に文句言ったり目の前の人を変えようとしても変わらない。

その場合は自分の内側を変容させるんですよね。

自分の内側にある自分へのジャッジとか、
自分への裁きを許してあげるんですよ。

男は稼いでくるもんでしょうって思ってる場合、
稼いでこない旦那とかを見ると、
役に立たねえなって感じになる。

でもさそれってさ、
稼いで来ない旦那さんが問題なんじゃなくて、
男は稼ぐもんでしょっていう定義が問題なんですよね。


それ以外でも
母親はこういうもんでしょう。とか
年配の人とかに多いけど、
母親っていちから料理を手作りしてこうやって出すのは母親でしょうとか、
母親は子供の犠牲になるのが母親でしょ。
っていう概念とあるじゃないですか。  

母親だから、、、
そういう年代の方とかはやっぱりそういう幻想の戦後の母親像を押し付けて来きたりするんだけど。

時代が違う。

言ってることは分かるし、
それ自体を否定って事はないけど、
でもそれを今私に求められてもとかってあるじゃないですか?

母親なんだからこうしなさいとか、
母親なんだからこうでしょうとかって言われても。。

全部やっぱり概念だから、
母親とはこうでしょうとか父親とはこうでしょうとか友達ってこうでしょう。
とか パートナーとかってこうでしょう。
とか仕事場で部下ってこういうもんでしょ?

みたいな例えば上司の言う事何でも聞くでしょうとかっていうのも概念だしね、、、

つづく

形而上学、宇宙の法則、錬金術、カバラなどの見えない領域をコントロールして現実世界に望むものを顕現させる魔術師であり、錬金術師 無限の愛と富が循環する世界を創る『愛の革命家』、生きているだけで富が湧き出るレディ養成などを行う4歳男の子と0歳双子の女の子をもつ三児の母