自分に嫌われない生き方③

第3回最終回です。

いつも、お読みいただきありがとうございます!

最初に話した彼が,
私をダメ出ししてくるとか、
あとホストに貢いだこととかもあるけど。
 
それは
自分が自分を大事にしてなかったから
そういう人たちが、そばに居たってことね。

だからことが今現象として起きている場合は、
自分自分の前提が大切にされない存在です。
という定義があるからね。

だから、
ちゃんとそのように扱われるし

彼が会ってくれないとかっていう人もいるけど、

それはね結局今話したのと同じ感じです。

私の話を誰も聞いてくれないって言う方もいるでしょ?

それは誰も私の話を聞いてくれないっていう設定があるから、
ちゃんと旦那さんは聞いてくれないとか
話を聞いてくれないとか、
そういうことになるんですね。

だから相手にそれを文句言って話を聞いてくれない。って言ったところで、
喧嘩になるだけ。

それを言って解決するんじゃなくて、
自分の内側を
チェンジさせる必要があって、

それはどうやってやるかって言うと、、、

例えばこれも一例ですけど、
私の話を誰も聞いてくれないっていう前提が
自分の中にあったとしたらね。

ずっとそれに向き合っていき、
誰も話を聞いてくれないって信じただけ、
そう信じたんだけっていう風に考えるんですよ。    

例えば、 
幼少期の私でいえば

私が「母に聞いて聞いて!」って言った時に、
ちっちゃい弟たちのところに手がかかってたとか
父親は好きなテレビを見ているタイミングだったからとか
食事の用意してるとかっていう風になって。 
 
父親にねーねって言ったら、
好きなテレビ見てるからうるさいって言われてるみたいな
何度も繰り返すとねーねって言っても聞いてもらえない、言っても聞いてもらえないっていうのを繰り返すと、

最初の私の彼氏にダメ出しされたのと同じで、、、
こうなんだっていうのが作られる。

自分の信念の中で、
自分のその幼少期のパターンの中でそうだったんですよね。

うるさいって言われるから、聞いてもらえないから別の方法でのアプローチを考える。
気を引くっていうね。

大人になると、
色々考えて聞いてもらえるように努力するだろうけど、
子供の場合はそういうのができないから、ねーねーっていうのが精一杯なんだよね。

みなさん
感情をあまり表に出さなかったり、
あの人みたいに私はできないとか
あの人は凄いけど私はすごくない。
みたいな感じで自分を卑下してしまったりする人がほとんどなんですけど、、、

卑下する必要はなくて、
じゃ何をすればいいか?って言うと

私の場合は、まず冷静に考える
責めたりとかそういうのは時間の無駄だし、
エネルギーの無駄だから、
冷静にその人と自分の違いは何なのか?
行動の違いは何なのか?
とかやり方の違いは何なのか?

とか見ている。

例えば自分という視点でものを見ていたら、
自分っていうところから見ている視点だけれども、

私が以前羨ましいと思った人は、、、
おそらくもっと広い視点で物事を見ていた。

その頃嫉妬していた子がいるって言う話を度々していますけど、その話です。

その頃の私は自分のことしか考えてなかったんですよ。
自分が収入を作りたい、
自分が有名になりたい、
街の人気者になりたい、
みたいなそういう自分がいて

自分の欲がすごかった。

でも彼女はそうじゃなくて


応援してくれる人達を豊かにするにはどうしたらいいか?
とか商品を買ってくれた人たちが豊かになるにはどうしたらいい?っていうずっと先のことを見ていたんですよ。

愛される子
認められる子っていう感じになるんだけど、
その時は理解できなかった。

だからそういう風にねオーラと違いますけど、
そのあり方が絶対的なので
その辺を見てその人に会うことで気づきがあるんですね。
その辺を見ていくと成長できるかなって思います。

嫉妬した時は
基本この世界はベースとしておそらく勝ち負けの世界で成り立っているんですよ。

なんでかって言うと幼少期とかから勉強ができる子っていうのに順位付けをされたり、
助けられたり何かにつけて順位成績が良い子の方が優秀とされてね。

テストの点数もつけられるし、
基本的に順位っていうものとか順番つけられるとか点数つけられるっていうシステムがよしとされるしね。

そして
順位がいいほうが良しとされる。とか。

身長を気にする親子さんもいるし、
スポーツを中心にいっていう方もいらっしゃるし、
あとは学歴とか収入とかっていうところとかね。

勝ち負けの世界に生きていると、
私の成績がいい。
成績が悪い。
私は凄い。
けど自分より学歴が高い人とかが現れたら、
それに比べて私は全然変わっていう風になる。

それだけじゃなくって、
スポーツもそうだし、
あと容姿とかもそうだし、忙しいんですよ。

とにかく勝ち負けの世界に生きてる人はね。

あの人は愛されている、
でも私は愛されていない。

人と比べて勝ってる負けてる、あと優越感を得たいとかっていう風ににね。

比べるって言うことを手放した方が手放した方がいちいち比べなくて済むし、

最近取り入れてることとして、
シェアします♪

なんかね羨ましいなっていう人が出てきたり、
とてつもないような売り上げがありました。
すごい商品や人を見たり、
そうすると羨ましいとか思ってたんだけど、、、

最近はすぐに目に映る人、
私の目に見える人って私世界の一部でしかないから、
私の前に現れた場合、私がそうなるっ私もああなるんだ。って思うようになったんですよ。

最近は全然嫉妬っていう概念にならないし、
私が実現可能だから私もできるんだみたいな感じに認識するとね、
楽しくなってくるしね。

そういうのが見えちゃったと言うね。

羨ましいなっていう人がいるって言うのは
すごいことで、
自分の内側が羨ましいっていうのは
結局ねやっぱり道しるべとか指針だったり

自分もそれがやりたいよっていう声の一部

自分のやりたいことがわからないっていう人は
もし羨ましいっていうふうに思う人とか羨ましいこととかだったら、
絶対その方向にはやりたいことが眠っている。

だからそこから見つけてもらうと、
自分のやりたいことも見つかるって言う。

その羨ましい人を観察してみると、
自分もこんなにやりたいんだなっていう風に見るといい。

自分の嫌いなところを努力してやるっていうことではなくてね。

もう一つ猛烈に私羨ましいと思ったことがあって、

その頃私は何かやりたい事がうっすら見えている時期で、見えてはいたんだけどやり方が分からない。

向かう先が分からない、
どうやってやればいいのかもどうすればいいのかもわかんない、みたいな状態


ただやれること、やりたいことをやっても
この状態がうまく行かないっていうかね
 
あまりにも申込みも取れないどうやって、、、
どうすればいい、、、
っていう感じだったんですよ。

だから人は全然来ないんだけど、
私の中ですごい猛烈に強い思いで
自分のやりたいことを表現しているんだ!表現できているんだ!という状態だった。

セッションを
やらせてもらっていて思うんだけど、
やっぱりやりたいことがわかりません。
とかそれはしょうがない。

みんな一緒なんですよ。

でも人生のどこかで自分は何のために生まれてきたのか?
何のために生きているのか?
とか何のために死んでいくのか?っ
ていうことを
毎日の中でふと考えることとかってあると思うんです。   

私はその時すごい考えた時期があります。

ちょっとでも
この人生っていうものは何のためにあるのかな?とかのために生きてるのかな?っていう感覚が感情とか気持ちとか持ってきたらきちんと感じてほしい
 
理解しなきゃいけないのは、
自分が何を感じているか?
とか思っているか?
どうしたいか?っていう
鍵となるすごく重要な自分の自分がどうしたいってこと。

自分の自分の感情とかね。


無理に親の言う道やその道を走る必要は全然ないです。

無駄使いしちゃだめという親の道があったとして、
今快適に過ごせていても
お金が無いからとか言われると
お金がなかったわけじゃなくても
そうなんだっていうのが残ります。

私はできない、苦しい苦しい、悲しいとかも
そうだし
親が言ってたものとか、
おじいちゃんおばあちゃんが言ってたとか、
地域性とかね。
その土地の持ってるそういうものもあるんだけど、
それに自分を当てはめてそれからはみ出た部分の嬉しいとかは、
自分の行きたい所を示す指針なのでそれを叶えてほしいです。

自分で感じて、
それを押してあげられるか?

ライブ配信動画をよく見ていただいて見比べていただくていいかな。

自分の概念が
お父さんは包容力があるとなっていたら
そうじゃない旦那さんを見たときにえーと、
なったりするんですよ。

そして逆に無駄遣いっていうのは
奥さんが多いとしたら、女の人でこういうことするのはありえないよねとか

親御さんが
買うお金はないから買わないよ!とかってよく使うと思うんだけど、
でもこれって
子どもの潜在意識にどんどん当てはめられていくんですよね。

金がないから安いものを買わなきゃって。

お金は無駄遣いしちゃいけないんだっていう風に呪いがかかってんの

私は、子供がおもちゃとか欲しいとなったとき 
基本的にあまり買わないんですけど、
旦那さんが買うのが結構好きみたいでね。
そんな買わなくていいのにとか、
もちろん思うんだけど買ってあげちゃってね。
私は当時は
お金ないから買わないよって言ってたんですよ

そういうのを
どんどんどんどんテンプレートにあてはめていく。

 
そうなると前提のところが間違ってくるんですよ。

お父さんお母さん、
おじいちゃんおばあちゃんは、
無駄遣いはいけない事って言っていたけど、
果たして無駄遣いは本当にいけないことなのかなって考えたとき、
そこまで悪でもないはず。

それって本当にそうなのかな?って疑ってみるんですよ。
親が言ってた常識とか、世間が言ってた常識に対して鵜呑みにしてて、
信じてきたけどでも果たしてそうなのかな?っていう。

例えば 意識に入ってて
ちゃんとっていう言葉が
ばあちゃんの代でそれを言われて育った方は、  

かたくなに今もちゃんとしてない人が嫌いな人だったりする。

自分に見えてる世界の中にも嫌いなものが沢山あったり、そういう人がたくさんいたりします。

でもね、そうじゃないっていうことが結構あるんですよ。

例えば どんどん自分を許せるようになって、
どんどん受ける事がでくると、変わる

自分が嫌い、ここがダメなんだ、そこはだめなんだって言ってる部分が多かったりして、そこを許さないと現実を変えていくとか難しい。

自分の内側に到達できたり、
自分の呪いを解読できるようになったり
呪いの存在に気付いた場合、
その呪いは解けるようになってるんですよ。

こういうところが嫌いだなーって吐き出したりとか、自分の嫌いな所ってどこかな? 
と自分の内側に問うたり
人と違ったりその方その方によって能力が違ったりするからって思ってもらえばいい。

例えば
こういうさっき言ったみたいに、
無駄遣いしちゃうところが嫌いだなーって思ったら そこをみる。

お母さんみたいに気を使うって言うことだたら、
周りの人に気を使った方がいいって言う理由を考える。

例えばお母さんは、
気を使った方がいい理由は、
ご近所さんとうまくやるためにって思ってたかもしれないし、近所さんに嫌われないためにって思ってたかもしれないじゃないですか。

お母さんはそう思ってたから努力して、
気を使う人になってたとして想定するんですよ。

無駄遣いしている事がいけないとか、
気を使ってこうしなきゃいけないっていうのを
外すんですよ。
  
そうすると許せるようになっていく。

自分ではない人が定義した枠から、
離れられない
っていうこともいくらでもあるので 。
 
家族がいいと言ったものとか
家族が信じてやまないものとかっていうのは自分の概念の形成にものすごく影響を与えているんですよ。

根本のその概念っていうのは外して行ったり、
呪いを外していたりする。

どんな人のことも許せるようになってくる。

その家族とか親とか兄弟とかっていうのは
一番小さな子メインコミュニティですよね。


夫婦間での揉め事とか、
何かしら仕事場での揉め事が何かしら起きてるって言うのは概念がぶつかってるって言う事です。

自分の家庭ではお母さんも完璧に家事ををやって、あれもこれも準備してくれてっていうのが当たり前っていう家系と例えば、
お母さんそういうの全然合わなくて
子供たちが自分で自立してやるみたいなところが当たり前。では概念が変わる。

自分が直さなきゃと思ってる所ってどこだっけって考えていきます。

つづく

形而上学、宇宙の法則、錬金術、カバラなどの見えない領域をコントロールして現実世界に望むものを顕現させる魔術師であり、錬金術師 無限の愛と富が循環する世界を創る『愛の革命家』、生きているだけで富が湧き出るレディ養成などを行う4歳男の子と0歳双子の女の子をもつ三児の母