自分を赦す④

最終回です!

いつもありがとうございます♪

この回のポイントワード

本当にそうなの?

だから、、、

変な話、

どんな小さいこととかでも本当に、、、

本当にこれってそうなのかな?みたいなことを考える。

例えば
ご飯の素の並べ方も、
本当にこれって これで合ってるのかな?とか本当にこうなのかな?みたいなのね。

旦那さんが稼いで来るって言うのも、
本当にそうかな?とか
母親が家事とか育児とかするのも本当にそうなのかな?って

じゃないっていうことも言えないかな?みたいな感じ。

疑問とか検証とかを自分で繰り広げていくと、
意外と そうでもないなってこととが多かったりする。

意外と女の人が家事をやらなくたって
大丈夫じゃん。とかね
例えば
家政婦さんにお願いしつみるとか。

誰かに委託するもそうだし、
電化製品などの家事を助けてくれるものを使ったりとか、全部自分でやらないと!で
もう死んじゃうとかってなったりするんですよ。

あとは
私の給料はいくらぐらいって思っているのも
本当にそうなのかなあとか。

働きに行くのが大変だと思ってるのは、
本当にそうなのかな?とか。

学校がつまらないと思ってるのは本当にそうなのかなとか。

本当にそうなのかなっていう視点で見る


そうすると
難しいと思っている集客って本当に難しいのかな?とか子育て大変と思ってるけど、
本当にそうなのかな?とか

そういう視点を持っていると、

今まで私すごい信じてきたと思ってきたけど、

もしかしてこれ違うんじゃない!?


って感じになるんですよ。

そうなると結構こっちのもん。

信じきっていた信念みたいなものや、
概念というものをフラットにできると
それに関連する自分をさばいてる事とかも
一緒にリセットされたりするんですよ。

だから私の場合、
母親っていうものはこうだ。とか
いい人っていう概念って言うか信念みたいなものがあったんだけど。

人の顔色を見て、
いい人でいるって言うのがいいことだって
私は思ってたんだけど!

でもそれって周りの人の目線とか周りの人の反応によって、
私自身を変えていかなきゃいけなかったり
七変化させなきゃいけないってことじゃないですか?

だからそれは果たして、
私にとって幸せなことなのかな?

そういう
何か疑問が出てくるっことは、
いい人じゃなくていいんじゃない?みたいな。

あと旦那さんがいるから子供がいるから、
私早く帰らなきゃっていう方とかいるんですけど、

それも気のせいじゃない?とか勝手に自分
夕飯までに帰んなきゃ!とか
子供が帰ってくるまでに帰んなきゃ!とかって思ってたりね。

それはもちろん物理的に帰らなきゃいけない場合もあると思うんだけどね。

自分でこうだという信念あったり、
概念があったり、
子供達の旦那のご飯は私が作らなきゃみたいな。

誰が決めたんだ?っていう話です。

そもそもご飯は食べたい人が作って食べれば良くない?ねって思ったよね

もちろん作ることも全然あるんですけど、
でも例えば私が出かけるとか1日出かけるとか、
1日出張でいないとかってなった時に、
その私がいない時間のご飯とかって知らんがなって感じでね。

だって私いないし、、、

私そこにいないし、そこで食べないのになんで私が作るの?っていう
素朴な疑問が湧いてきてね。

食べる人が作ればいいんじゃない?みたいな。

前の私だったら、母も私が作って出かけないとみたいな感じだったから。

だから朝昼晩のご飯を作って出かけるとか、
買って用意しとくとか、
何かそういうふうに母は作らなきゃ。とか
用意しなきゃなと思ったと思うんだけど、

子供達だけ残して、
その場合は必要かなって思うけど、、、

例えば
自分の母親や旦那さんとかっていう場合
大人だし自分で好きに買って食べたいもの食べなよって感じなんですよ。

だから母親っていうものとか
そういうこの私が用意しなきゃ!とか作んなきゃ!っていうのも幻想じゃん?

母親がご飯を作んなきゃいけないとか、
家事をしなきゃいけないっていうのもやっぱりかなり幻想なんで。

だってやっぱりね、家政婦さんを雇ってる人とか。 家事してないじゃないですか?

母親っていうポジションは変わらないし、
妻っていうポジションは変わらないわけだから。

そもそも妻が家事をやるとか、
母が子育てをするっていう考え方自体が、
日本の概念っていうところがあるんでね。
 

だって全然違う国ではさ、

子育ては市のベビーシッターが何人も兼任しいろんな人が入ってやってるって言う場合もあるし、
別に母親の役割って家事やることでも
子育てすることでもないと思うんですよね。

だから 、、、

自分の身の回りに溢れてる物やほぼ全て概念と言っていいので、
それをどんどん一個ずフラットにしていくと自分も自由になる。

さばいてた相手たちも自由になるから?

さばいてた相手を許すっていう風になると、
その相手との関係性もも変わるんですよ。

だからこいつ許せないって思ってる人とか
殺してやるかって思ってる人に対して
それでも自分から許すっていう風にすると、
そういう相手との関係性が変わったりするんだよ。

許すって決めた次の瞬間に、
話しかけてきたりとか
急に関係性が変わったりとかするから。

なんか嫌がらせされてるとか、
相手が自分のことを嫌いで嫌な事してくるとかっていうようなこと言ってくるとかね。

小言言ってくるとかでも、
そういうのも全部許すんですけど、
そういう相手もそうするとこうお互いの関係性が変わったり   

相手に向けていた攻めるエネルギーがチェンジするから、
やっぱ人って責めるエネルギー投げられてると自分も攻撃したくなるもんなんですね‥

だから自分がもし攻撃を受けてたり文句とかそういう言葉を言われてたりする場合は、
完全に自分がそういうエネルギーを発してるって思わないと。

自分の内側を許して 

エネルギーの方向性を変えないといけないので、
そういう風にエネルギーを変えたり
内側を変えたり
自分自身を許して
他者も許すっていう風にすると、

本当に生きてて楽になります。

ちょっとそのようにやってみてくださいな。

今日はゆるす生き方っていう話はしましたけど、
結構この許すっていうのは
どの側面にも使えるんですね。

それは自分自身っていうこともそうだし、
やっぱ親っていうこととか、
家族とか友達とか、職場とか。

これは
いろんな局面での話なので、
多分何度もみないとわからないし
何度見てもその都度許す必要がある領域は浮き上がってくると思う。

なので、ライブ配信を何度も聞いてくださいね!
https://linliv.ee/2ims6Cj/co/ot/sh/pl

ありがとうございました!

形而上学、宇宙の法則、錬金術、カバラなどの見えない領域をコントロールして現実世界に望むものを顕現させる魔術師であり、錬金術師 無限の愛と富が循環する世界を創る『愛の革命家』、生きているだけで富が湧き出るレディ養成などを行う4歳男の子と0歳双子の女の子をもつ三児の母