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推しが休養して一年が経った

https://magazine.fany.lol/51918/

この一年間の話をしようと思う。



まず、この発表は5月6日付だけれど、正確にはゆめっちちゃんは2月後半から体調不良の為にお仕事を休んでいた。
それから2ヶ月半ほど経ってからの発表である。休養を取るとはっきりと発表することでゆめっちちゃんの心や体がより休まるなら良かったと思いつつも、心配は尽きなかった。
何せ休養に至った原因も理由も分からない。
無理に言ってほしいとは思わないけれど、何も分からないことより不安なものは無いのだ。
不安だし、心配だし、寂しい。
あらゆる負の感情が噴き出しそうになり、お笑いが好きなのに、今まで沢山笑わせてもらっていたのに、その時間が大好きだったのに、笑いたいと思えなくなってしまった。
こんなに不安で心配なことが頭にあるのに、笑う余裕なんて持てるはずが無かった。
とは言え、負の感情に浸り過ぎては自分が駄目になることは分かりきっていた。
3時のヒロインの出演時以外はあまりテレビを点けない方だったが、気を逸らす為に手当たり次第に色んな番組を見始めた。
無理矢理にでも前を向きたかったから。

ゆめっちちゃんはSNSを毎日のように投稿・更新してくれていて、リアルタイムで何をしているか知らせてくれることも多く、芸能人という遠い存在なのにどこか身近に感じられる人だった。
更新通知が届くたびに、SNSを開くたびに、私はその中身に励まされたり笑顔にさせてもらっていた。
加えて毎日のようにテレビに出演していて、毎日楽しみが待っている状態だった。
日常を彩ってくれていた。
それが無くなり、自分の中にあるコアの部分がごっそりと欠けた感覚がある。
それは一年経った今も変わっていない。


相方の麻貴さんとかなでちゃんの二人で活動することになった3時のヒロインを見るのは寂しかった。
私は元々積極的にライブやイベントに足を運ぶ方なのだが、二人の活動を応援したい気持ちはあるもののどうしても寂しさを感じてしまうこともあり、今は控えている。
そんな中、ほぼ毎月行われている3時のヒロインの単独ライブだけは一年間足を運び続けていた。どのメディアよりも等身大の3人が見られるこの空間が好きだからだ。
単独ライブ中、麻貴さんはほぼ毎月"3人の3時のヒロイン"を待っているファンの気持ちを察すかのように、ゆめっちちゃんの名前を出したりエピソードを話してくれた。
名前を聞ければ存在を感じられたし、存在を強調してくれたら安心出来た。
レギュラーのラジオ番組でもゆめっちちゃんと連絡を取っている話をしてくれたり、この一年間私の気持ちを一番安心させてくれたのが麻貴さんだった。かなでちゃんはいつも自然体で、かなでちゃんが話す"3時のヒロイン"はいつだって3人組だった。
寂しさを感じてしまう私に、今はたまたま一人が休んでいて視覚的には二人だというだけで、3人組であることが当たり前なのだと思い出させてくれた。
この一年は、二人の言葉に沢山救われた年だった。
二人には、一年間踏ん張って3時のヒロインという存在を繋いでくれてありがとうと思う。


どうにか負の感情に呑まれずに居られたのは、今までゆめっちちゃんを見ていて学んだことや教えて貰ったものを失いたくなかったからだった。
私は何故か"模範的"を求めてしまいがちで、考えないよう意識しないと、ああしなければこうしなければ、と自分を追い込んでしまいがちだった。
そんな思考を、ゆめっちちゃんの存在は優しく解してくれた。
笑ったり泣いたりと感情豊かなゆめっちちゃんを見て、人の感情の動きは魅力的なのだと知った。
ゆめっちちゃんは日常の中に幸せを見つけるのが上手で、自分の好きなメイクや服装を楽しんでいて。日常は考え方次第でいくらでもハッピーになることや、自分が思う"好き"に正直になって良いのだと私に教えてくれた。
思い出すのはいつだってきらきらした記憶で、思い出す度に私を生きやすくしてくれる。
お笑いに興味が無かった私が笑うことが好きになったのは、ゆめっちちゃんを見ていて沢山笑顔にさせて貰ったから。
可愛くて面白くて見ていると元気を貰える。笑顔になれる。ゆめっちちゃんは私の太陽だ。
ゆめっちちゃんの存在に触れられなくても、思い出せば幸せを感じられた。
所謂供給とやらはこの一年無いけれど、録り溜めた過去の番組や3時のヒロインのYouTubeを見れば、いつだって私は笑顔になれる。
何度見ても元気をくれるし笑わせてくれる。
今も心配はあるし、寂しく思うことも多いけれど。
嘆くよりも、貰ったものを数えながら、愛しく思いながら、待っていたい。
ゆめっちちゃんがいつ復帰しても、元気に迎えられる自分になりたい。
誰に言われた訳でも無く自然とそう思うようになり、心を明るく保つことを第一に考えるようになった。
そう思えるのも、今私が元気にいられるのも、ゆめっちちゃんに出会えたお陰だ。

この一年で学んだことは、たとえ一年会っていなくても、"推しが大好き"という気持ちは何一つ変わらないことだ。
ゆめっちちゃんにまた会えるまでは、まだまだ時間がかかるのかもしれない。
けれど人生は長い。色んなことがあって当然だろう。
今はゆめっちちゃんの人生に必要なお休み期間なのだと私は思っている。
だからいくらでも待てるし、これからも待ち続ける。
またいつか、お互い笑顔で会える日が来ますように。

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