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話されるつもりのこと、そうでないこと

元々、自分の名前で発信し続けてきた日々だったけれど

今は私の名前を用いずに、ここに漂う時間のなかに現れる言葉を置いていきたいと思って、「野と知」という文章を付けることにした。
その名を想ったのは、山の中を進むほどに、野生とはつまり知性のことだと、ふとわかった瞬間のこと

時間と空間は此処には用意されないので、
限りなく揺らぎのままに記してみようと思う。
偶然あなたの目に留まることがあったのなら、それはとてもうれしい。

人から真に語られるものは、きっと言葉によるものではないと思っている
けれども、だからこそ、言葉をとめる
「正体」とは決してつかめないものだから
名前も付随する物語も、ただ、火と水になる
そういう話をしていくのかもしれない


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