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無用な嫉妬をやめてくれよ

今の職場には、首都圏私大出身者が多いらしい。国立大と私立大の輩出数を比べると当然のことだが、首都圏の国立大生は公務員や大企業に吸い寄せられて、私の勤め先みたいな層にはなかなか珍しいらしい。
「地方から来ました」と自己紹介すると、珍しがられたついでに出身大学を尋ねられがちだ。

自分から言及することはほぼ無いが隠しているわけでもないので事実を答えるのだが、「え、それって国立?」と念押しのように聞かれることが大半だ。
それで私が「国立です」と口にすると、相手の中の何かのスイッチが入れてしまうことがあることに最近になって気がついた。

私が国立大卒だと知った途端、なにか教える際に「あなたがどんなに頭が良くても、」「あなたがどれだけ勉強できても、」これ(仕事の基礎)が出来なくては話にならない………などと嫌味な言い回しをするようになった人もいて、面食らう。

何がそんなにあなたの心を突いたのか?

そもそも私の出身大学は、国立と言ったって首都圏ですらない地方で、旧帝大でもなく、難関と呼ばれるかどうかすら媒体によるような、文科省の圧によって研究の質の維持さえ危ぶまれているような大学である。

MARCHや日東駒専と呼ばれるような首都圏の私立大学に通った人からしたら、お話にもならないザコでは?と思うのだが、何をそんなに気にしているのだろうか。
私にとっては首都圏に生まれ育ち首都圏の私立大学で4年間を過ごす選択肢がありそれを選んだ、選べた、実行できた、それだけで私はそういう人たちのことをよっぽど羨ましいと思う。どんなにそうしたくても、私はそうはならなかったから。

そういう人たちは「国立大学」という記号に反応しているのだと、私は分かっている。地方がどうだとか、研究の質がどうだとかは関係ないのだと思う。

私が「首都圏」という記号に強く反応するように、その人たちは目の前の人間の卒業した大学が国立か私立かに評価軸を置いているのだと思う。

何かにつけて、何かを何で評価するかというのは人によりけりで、だから誰かを羨ましいと思ったり自分の方がマシと思ったりというのも人によるのだが、それを相手にぶつけたって意味ないじゃないか。
自分がそうありたいと望むことが、誰かにとってのコンプレックスかもしれないし、逆もまた然りであって、だから無用な嫉妬をしてそれを態度に出してどうなるわけでもないでしょうに。

でもそうやって冷静になれないのがコンプレックスや劣等感なんですね。