逆張りの功績と大罪

逆張りって分かります?

いわゆる王道とは別の物をあえて推す的な意味合いでよく使われてるワードだと思います。

音楽に限らず一定数そういう人というか文化はあると思うのですが、「メジャー」の音楽は好きじゃないから「インディー」系の音楽しか聴かないぜとか、サブスクが主流の時代にあえて物を所有したりとか色々思いつくものはあると思う。

個人的見解になるけど中ニ病と呼ばれる若いキッズ特有の感性もそれになるのかなと思ってる。

で、その中ニ病の原因ってまだ何者でもない自分のアイデンティティーを確立するためにそういうものを選んで取り入れる事で、周りの奴らと俺は違うんだぞというポーズを取ってるからなのかなと思う。

もちろん俺にもその中ニ病的な逆張りド真ん中みたいな時期があり、今思えばバリバリの激痛キッズだった。

そんな外から見たらしんどい奴だった期間を抜けて寛容な懐のある感性を手に入れると、途端にその激痛は素晴らしき教養だったりエッジの効いた感性になったりする事がある。(俺は今の所その素晴らしき感性には辿り着けていない、途中)
そして逆張りは人生の美学を作る上での良い材料になったりすると思っている。

逆にその逆張り期から抜け出すきっかけのないまま年を取り続けていく人も一定数いるわけで、それはそれでぶっ飛んだ感性の持ち主になったり、悲しい事に世間から白い目で見られる人になったりするのだ。

俺が思うにタイトルにした逆張りの功績は、逆張りの感性を持ちつつもメジャー的なモノを許容して自分の中に取り込める力を持とうとする事なのかなと思ってる。(あくまで俺なりの考えだけど)

逆張りの大罪は自分の感性のみが正しいと思い続け、他人を批判したり押し付けたりする事なのかなと。結構そういう人いない?
例えば腹立つ職場の人とか上手いこと型に嵌め込もうとする人とか。

俺はそれなりに他人と関わる機会は多かった方だと思っているので敢えて言い切るが、世の中には逆張りし続けてるいる人間は結構いる。そしてそいつらはほぼほぼ煙たがられている。

で、その逆張りの人達から応援されてる側の気持ちはどうだろうか。
応援してくれてるのは嬉しいけどあの人周りに迷惑かけてるよな…となると素直に喜べないんだよね俺は。
デカい規模感でクリエイティブをしている人であればそこまで気にならなかったりするのかもだけど、まだ売れてない人達からするとそいつにコミュニティーをぶっ壊されかねないので結構ヒヤヒヤしていたりする。(俺もヒヤヒヤした経験あり)

だって自分達が努力して作り上げたモノを起点に誰かが傷つけられてしまっているから、そんなの悲しいじゃん?
許されるならボッコボコにして体でわからせてやる…!くらいに腹が立つ。

なので少なくとも自分の周りは他人を傷つけるような人間ではなく新しい感性として許容してくれるような人間でいたいなと思う。
ただここまでの一連の流れも俺が型に嵌め込もうとしてる人間になってしまっている状況なのは否めないが。

なので自分の感性を信じた上でたまには他に目を向けてみる、みたいな気持ちでいるようなラフさが良いのかな。

文章を書きながら考えてるので浅いし拙いがそんな感じ。

自分でなんか作ってみたら意外と見え方変わるかもよ?

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