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【OCNNPW】「殴っていいんだ」とオウカ理論の相克

 Twitter(現X)で一躍有名になった女子格闘技マンガ「はっちぽっちぱんち」をノリで買ったら面白かったのでその話をします。
(私見では)NNPWとそんなに無関係でもありません。

既刊①②巻発売中

 本作の主人公である黒石くろいし 希歩きほは、成長するにつれて頭の中で人体破壊の妄想にふけるようになったやべー奴であり、正当防衛と過剰防衛の閾値がわからないばかりか、人を殴るためならどんな痛みも恐怖心もこらえて立ち上がり前のめりに向かっていくもっとやべー奴です。

 そんな奴が女子格闘技の世界に入ったらどうなってしまうのか? というのが本作のメインストーリーなのですが、それはそれとしてやはり前述の一コマのように、ある種の自己正当化を伴う暴力の肯定=「殴っていいんだ」について、僕は一度立ち止まって考え込みたくなるのです。

 なぜならば、僕がロールプレイングゲームで人やモンスターを殴るとき、そこでは脳内に「殴っていいんだ」が発生していると感じるからです。

 最低でも再起不能にする、あと一歩で生命を奪う。そのくらいの暴力を振るっても、まあいいか、と思ってしまう瞬間に人はけだものになっていきますね。

 ただしRPGの中でも「MOTHER」や「桃太郎伝説」などシステムメッセージ上で相手の殲滅ではなく無力化を明示するものや、「ポケモン」シリーズのようによほどストーリー進行上ポケモンの死が不可避となる状況以外ではポケモンのヒットポイント(HP)をゼロにすることを「ひんし(瀕死)」「きぜつ(カードゲームの場合)」「戦闘不能(アニメの場合)」といった表現に徹底しています。

 しかしながら、どちらかのHPがゼロになるまで戦い続けるのがRPGの常だとするとそこには暴力のにおいが付きまといますし、僕自身キャラクターの攻撃力を最大まで上げる効果の魔法(バフスキルとも言う)とか強力な必殺技などがより興奮を高めることをよく知っています。

 このRPGでのプレイ感覚における暴力観を現実に映し出したら自分はキホと同じタイプになるんじゃないかな、と思うわけですが、マンガ本編を読み進めていく感じ、どうやらそうでもないなというふうに考え始めました。

 というか、彼女と自分を一緒にされたくないな、とだんだん思うようになりました。

 まず、キホはそもそも格闘技自体にあまり詳しくないからでもありますが、頭部へのダメージで脳が腫れても歯が折れてもおかまいなしに戦います。回復魔法なんて都合のいいものがない現実世界にあって、この感覚は文字通り命取りです。
 しかも、なぜそんなバーサーカーになるのかといえば「人を殴りたいから」です。アドレナリンがどぱどぱとかそんな常識的な理屈を超え、その肉体と精神力の限界を超えて、目の前の人を殴るために全存在をかけて運動できるのが彼女です。
 この時点で、彼女は常人の尺度で測れない人物です。

 第二に、キホは「殴っていい」なら相手を選ばない節があります。
 レイ〇魔相手はともかく、学友ですら妄想だけでなくあと一歩でキホに殴られそうになっていました。
 さすがに後悔するだけの感情は彼女にもまだあったようですが、大義名分さえあれば無差別に人を殴れる(疑惑の強い)人物、また無意識の状態ならば無差別に人に殴りかかる人物というのは、僕はあまり共感しません。

 他者を加害する妄想は誰にでもあると思う(僕だってする時はする)し、無理に正そうとすると余計にこじれてしまうものでしょう。

 僕はまあ、それを自制してはいると思っています。社会と自分の相互関係に対して一歩引いた目を持って、一線を越えない努力というか……それは社会人の多数がそうだろうと感じます。

 でもキホは、そうではない。

 彼女の持つ暴力衝動とそれを抑制する人間性の関係──忘れないで欲しいのですが、彼女は「人を殴っていい」理由をどこかに探している人間です──は、まさに作中でREINAが評した「人の皮を被った獣」という言葉がしっくりきます。

 あたかも火薬を圧縮して強い爆発力を生むかのように、〝殴ることへの執念〟に突き動かされるキホと対戦する少女たちに、心底同情します。
 彼女こそ女子格闘技界の破壊者であり、あらゆる価値観や常識の破壊者だと思うからです。

 そして、こうも思うのです。

 わがNO NAMEプロレスリングのオウカ・ユウギリ選手が、当団体うちで真にオウカらしいレスラー人生を送るのであれば、いつかはこういう相手と戦うべくして戦うのではないかな、と。

 温室のようにぬくぬくした団体妄想の中で過ごすよりも、自分の全存在をかけた戦いに身を投じていくべきなのではないのかなと思うんですよね。

 まあそれをファイプロ上で表現するとなるとまた変わってくるのですが……。

 あと、それってちょっと時代背景が違うだけのチャンピオンロードじゃない? オウカ、昼下がりに銃持ってきて命を絶っちゃわない? って思うとかなり不安ですね……自分で言いだしたのに


 キホが「人の皮を被った獣」だとすると、オウカは「人の心を持った兵器」です。「人の頭脳を加えた」……とも言いたくなります。

 兵器だから動くだけで人を傷つけてしまう。

 そこに人間の感情を得てしまったから迷い、悩む。

 オウカはそうあるべく要請された存在であり、僕とオウカの関係はロールプレイングゲームのプレイヤーとプレイヤーキャラクターの主従関係そのものです。

 命令が入力されればなんでもする。だけどその命令が犯した罪に対して共に悩み続ける。

 そして可能な限り解決策を探す。最終的にその場その場で「敵」にした相手をぶん殴るだけだとしても、ですが。

 しかしそのようにして「敵」を選ぶということは、自分にとってのイデオロギー……ないしは思想信条にとって憂いがない道を選ぶ、という意味でもあります。

 つまりどういうことかというと、僕はどうせロールプレイングゲームを遊ぶなら正義の味方が、世界を救う勇者がいいというわけです。

 これをメガテニスト(「女神転生」シリーズのコアユーザー)や「メタルギアソリッド」シリーズのファンが聞いたらさすがに噴飯ものでしょうが、自分がやっていて気持ちの良くない争い、殺しには加担したくありません。

 僕に限って言えばモンスターを倒して経験値を増やしてレベルアップすること、資金を貯めて新しい装備を買うこと、ときにボスモンスターと心拍数の上がる死闘を演じること、それら〝殺戮と掠奪ハックアンドスラッシュ〟のサイクルすべてがスポーツのように爽やかで興奮するものであってほしい。

 それはキホのように、人を殴るためだったらなんだっていい、という種類の考え方と同じではありません。

 僕≒オウカは殴る相手を選ぶ。なぜなら兵器だから。キホは選ばない。なぜなら獣だから。

 だから一緒にされたくない。それだけでもうお互いの生存を懸けて殺し合う準備は整ってしまうと感じます。

 しかしまあもしもの話、それに勝ったとしても負けたとしても、僕もオウカも泣きたくなるでしょう。

 オウカにとってキホのような人物は「敵」として認めて全力を出せる相手かもしれないけれど、この戦いは、どちらかが死ぬまで終わらない殺し合いは、スポーツの爽やかさともゲームのおもしろさとも遠いところにある。死んでも殴るキホ側のシナリオ通りなだけだからです。

 やっぱりオウカ、どうあがいても絶望じゃん……なんて思うのですが人の欲望は尽きないもので、マンガ2巻の終わり、ムエタイ少女のらぶ選手が強いしカワイイしすぐ好きになったので、僕は彼女をイメージしたオリジナルレスラーを作成しました。

 タイの貧困層からムエタイの腕ひとつでのし上がっていく姿を想像しながらキホ要素をひとつまみして作ったため、最終的に相手の頭部に膝を打ち込むことをいとわないダーティな覆面選手になりました。

 ですが自分が作った設定は、らぶともキホとも違ってちゅう(中坊)くさいな……と感じます。
 まず地下格闘技ネットワークから呼び出された、という点からかもしれませんが、そもそも貧困=残忍という決めつけが安直だからでしょう。
 キホの〝殴ることへの執念〟と、らぶの「恵まれた日本人には決して手に入らない」底力が合体したキャラクターにこそ、テンプレートな表現ではないより深いディティールの個性が必要だったと痛感します。

 もっともオウカ・ユウギリも最初は僕が15歳の時に作ったキャラクターなので、精神的な要請としてはほぼ同レベルの存在です。
 可愛い女の子で最強の兵士になっちゃお! 好きな世界で恋も趣味もやりたいこと全部やっちゃお! っていうコンセプトでしたし……。

 今のところ興行としてこの二人を戦わせるかどうかは未定ですが、今回この記事を書くにあたって「自分とキホの暴力性はどこがどう違うのか?」を深堀りして考察できてよかったということを、付記しておきます。

 たぶん今後もSNS上で「殴っていいんだ」をその場その場の暴力衝動の肯定として引用するムーブメントは消えてなくならないと思いますが、そのたびに「それだけでキホと一緒にされたくはないだろうなあ」とよく考えてみる姿勢がつくれて、よかったと思います。

(終)

#ファイプロ
#OCNNPW
#NNPWの噂


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